叩きつける雨 / 魔女っこえる / 記憶 叩きつける雨 (月) 昼食の時間になっても食欲がわかず、紙パックのコーヒーだけを飲んで昼休みをぼんやりと過ごした。するべき事は多かったが雑事ばかりで、実際に月の手を煩わせるほどのものはひとつもなく、ただ手持ち無沙汰になって指先に挟んだペンをくるりと回した。 不穏な色を見せていた雲が、臨界点に達した湿り気を帯びてなおくらく集う。月が他の生徒たちに押し流されるようにして校舎を出た頃には、既に大粒の雨が落ち始めている。 早足で駅を目指すブレザーの集団に、不意に風が横からつよく吹き付けた。前後から上がる女生徒たちの小さな悲鳴。冷ややかに、雨が人々の足許を濡らす。傘にかかる重みと音が増す。雨足はさらに勢いを増したようだった。 傘をやや傾けて見上げれば、雨は空からと云うよりも、頭上に広がる灰色という色から滴っているように思えた。誰もが俯いて歩いている。通い慣れた通学路がよそよそしく雨水を溢れさせている。 自分が断罪してしまっていいのだろうか。 叩きつける雨に、月の膝から下はじわじわと濡れていく。月は半ば機械的に歩き続けながら、日が暮れてもいないうちの薄暗さに不安を感じている。昼間殆ど何も口にしなかったためか、胃のあたりが酷く重かった。だが食欲はない。それどころか、そんな感覚があったことさえ、今の月には遠く感じられた。 自分がしてしまって、許されるのだろうか。 月は歩き続ける。この問いは、ここ数日月が何度でも繰り返し自身に投げ掛けているものだった。答えは未だ見えない。それを与えてくれるものも居ない。 土砂降りの中、呆然と前に進む足は月を家族の待つ家まで運ぶだろう。月は、しかし彼に降り注ぐものに圧倒されて、進むべき方角を見極めることが出来ずにいる。 魔女っこえる (L) 私、魔女っこえる!普段は白Tにジーンズの冴えない名探偵だけど、いざと云う時には大変身☆魔女っこになっちゃうの! ワタリのいれたてのコーヒーにたっぷりの砂糖(カップのふちから4センチ以上は必須だよ〜っ)を入れて飲み干せば、ほら!キラキラの粉砂糖の渦の中で、全裸スレスレのへ・ん・し・ん、大サービス!きゃっ☆衣装は勿論ピカピカの白Tにジーンズ! 敵を倒す武器はロリポップとシュガーケーンのヌンチャク、得意技はカポエラだよっ!たまにはセクシーに、生ハムメロンをめくるチラリズムなお色気技も繰り出しちゃうんだから〜! 極めつけの必殺技は、有り余る金に物を云わせて雇った特殊部隊による砂糖の機銃一斉掃射なんだけど、これは秘密なんだからねっ?えへ☆ でも敵の攻撃、にが〜いコーヒーを浴びせかけられると元の姿に戻っちゃうから要注意! そんなセクシーキュートな魔女っこえるは、今日も悪の糖尿大魔王に立ち向かっていくよ!いつも甘々、魔女っこえる、推参! 記憶 (L月) キラが死んだ。 何年も前に世間を騒がせた殺人鬼キラが司法の手に落ちて久しい。表向きはつまらない犯罪者の一人として捕らえたキラと呼ばれた青年は、その後精神病院に期限なしで収容されたはずだ。だが、あれから様々な事件を手掛け、それらに忙殺されているうちに、いつしかキラのことなど考えもしなくなっていた。夜神月が死んだとの報告が来て初めて、Lは彼の顔すら思い出せなくなっていることに気付いた。 あの頃は確かに寝ても覚めてもキラのことばかり考えていたはずだ。命すら失うかとも考えた。そう思うとどこか懐かしさのような感情をおぼえて、Lは手許の通信ボタンを押すと、これから外に出るために移動の手筈を整えるようワタリに指示した。 数年振りに見る相手が死体になっていることは、Lにとってはさほど珍らしいことではなかった。エンバーミングを施された死体は微かに微笑んでいたが、その体は白くやせ細り、当時あれほどまでに自信に満ちた風情であったのが嘘のようだった。 「ご友人の方ですか」 看護婦に頷いて返す。余計な人間とは接触したくなかったのだが、ワタリは何をしているのだろう。しかしLはふと気を変えて看護婦に向き直った。 「ここ数年、彼はどうやって過ごしていましたか」 そんなものは彼の訃報を聞く前から報告書として定期的に届けられていた。だがLがそれらの書類に目を通したことはなかった。 「……物静かな方でした。いつも部屋の窓から遠くを眺めていて。私達にも優しかった……」 看護婦の唇が僅かに震えるさまをLは黙って見ていた。彼は退屈そうでしたか。質問は沈黙の中に消えた。 「左って、彼には何か意味があったんでしょうか。時々はっと左側へ振り向くんです。その後彼はいつもノートを眺めていました」 彼はもうノートを失っていた。そればかりか、あれだけの年月が経っているのだ、ノートに関する記憶も失われていただろう。 「彼のノートを見せて貰えませんか」 「……済みません、あれは駄目なんです。ある人に渡すよう言付かっていて」 「ある人。その人物の名前は竜崎ではありませんか」 私がそうです。Lは静かにそう云った。 僕はやがて何もかも忘れるだろう。その時のために書き残しておきたい。記憶が失われるのは必然だから、動じる必要はない。僕は沢山のものを失った。全て僕が望んでしたことで、そして記憶はその代償の一つにしか過ぎない。 だけど僕はそれを失いたくない。 竜崎。僕の失われる記憶はどれも彼に結び付いている。 「彼はいつもここで本を読んでいました。時々窓の外を眺めながら。本は全て年に一度、十冊ほど送られてきました。あれを送ってきていたのはあなただったんですね」 本を送っていたのはワタリだった。彼がこの病院に収容された最初の年に、ワタリに指示して本を送らせた。施しでもやる気持ちでいたのかもしれない、ただの一時の気まぐれだった。それ以降も、どうやらワタリは彼に本を送りつづけていたようだ。Lは黙ってページを繰った。 毎年本を送ってくれる彼の存在を僕は忘れないだろう。だが、その理由を理解出来なくなる日がいつか来る。僕達はお互い違った信念のもと対立していた。勝者だけが正義であることは歴史を見れば明らかだろう、そして僕は負けた。正しいのは彼だ。 僕はいつか彼を忘れる。彼も僕を忘れるのだろうか。本が届く限りは忘れられてはいないと信じても構わないはずだ。 竜崎。僕を忘れないでくれ。…… ……この手記は何だろうと悩んだ。明らかに僕の筆跡であるのに、僕にはこれを書いた覚えがない。一旦は捨てようと思ったこのノートに書き込む理由は二つある。一つはこれを「竜崎」に見せるため。もう一つは、知らない自分の過去を知るためだ。 「竜崎」の記憶は多少ある。同じ大学で出会い、何度か顔を合わせた。罪の疑いをかけられたこともある。だが僕の記憶はあやふやで、霧の中を手探りで歩くようだ。 僕はここのところ「竜崎」についてばかり考えている。いつか僕の前に「竜崎」が現れたとしたら、そして今の僕を知ってくれたなら、僕はそれで満足だ。僕の知らない僕、忘れ去られた過去も今も知って貰えたなら、僕という存在はきっとずっと生きてゆける。 気をきかせたつもりか、いつの間にか看護婦の姿はなかった。ノートのどのページをめくっても、そこには「竜崎」の名前があった。 最後のページをめくって、Lは手を止めた。 竜崎。僕に会いにきてくれないか。一目でいい。竜崎。ここ何年か、竜崎のことばかり考えていた。今年は本が届くまで待てそうにもない。あと半月で一年なのに。 竜崎。 震えた字で書かれた字は大半が滲んでいた。Lがゆっくりと文字を指先でなぞる。そうしながら、Lは確かに当時の彼を思い出していた。彼の痩せて青ざめた死に顔も。 夜神月はもうこの世にはいない。 戻る |