火葬 / 退屈 / 月は死ぬことにした


 (Lキラ)

「煙草くらい吸ったことあるよ」
 そう云ったのはただの月の強がりであることを竜崎は知っていた。既に彼、夜神月に関して竜崎は、彼がキラである可能性を考慮した上で充分過ぎるほどの調査を行なっており、それらの資料によれば月は喫煙者などではなかった。
 竜崎は敢えて半信半疑といった表情を浮かべて見せた。ふと月が煙草を吸うさまを見てみたくなったのだ。月は挑発に乗らなかった。
「君が信じようと信じまいと、僕にはどうでもいいよ」
 投げ遣りにそう云った月の態度こそが竜崎を煽ろうとしていた。自らを取り繕うために相手に醜態を晒させようとするその遣り口は竜崎の気分を多少損ねた。
「……」
 竜崎は黙ってテーブルに手を伸ばした。彼らの前には封を切られていない煙草と安っぽい百円ライターがあった。誰か捜査員が忘れていったものだろう。竜崎指揮のもと捜査本部が新たに設置されてからそう経っていない。まだまだかれらには自覚が足りないようだった。
 竜崎の行動を月は黙って見守っていた。だが、竜崎がくるりと煙草のビニールを剥がそうとすると、咎めるような口調で止めた。
「他人のものを勝手に扱うのはどうかと思う」
 彼の主張は全く正しかった。だが、竜崎を諫めようとするその眼差しには限りなく虚偽の匂いがつきまとっているように竜崎には思えた。
「買って返せば済むことです」
 竜崎は丸きり月の忠告を無視する形で煙草の封を切った。箱から一本摘んで抜き取り、火を点けて吸い込んだ。竜崎にも煙草を吸う習慣は無い。だが経験として喫煙とは何か知っている。口を開けばとろりと煙が溢れてくる。
「夜神くんもどうですか」
「いや、僕はいいよ」
「そうですか」
 お互い白々しく上辺だけの言葉を交わしながら、竜崎はおもむろに席を立った。月が黙ってテーブルの向こうの竜崎を見る。竜崎は煙草を灰皿に残して月の目の前まで歩み寄った。それから、月の唇に口を重ね、相手が驚いて歯を噛み締めないうちに舌でこじあけて肺の中の煙を流し込んだ。
 月は一瞬呼吸を詰まらせてから勢いよく咽せた。苦しげに咳を繰り返しながら「何を……!」と怒りを向けてくる月をもう竜崎は見ていなかった。ただ月の口から吐き出されて天井に立ち上る煙が薄れていくのを眺めていた。煙の粒子が散らばりはしても決して空気には溶けてしまわないように、月が必らずどこかに隠し持っているはずのキラを、竜崎はいつか見つけ出してみせるつもりだった。
「幾ら逃げようとしても、存在する限り私が捕まえてみせます……」
 誰にともなく呟いた竜崎の言葉を、月は俯いたままじっと聞いていた。


退 (月)

 彼は待ち望んで居た。だが自分が何を求め何を待ち続けているのか、彼にはどうしてもわからなかった。彼は自らの願いを見つけるために様々な努力をした。しかし努力は彼に解答を与えなかった。彼はそのうち自分に本当の願いなど知らないほうが幸せなのだと云い聞かせて納得をしようとした。彼はそれで納得した積もりになることに成功した。それは彼に少しばかり朗らかな気分を味わわせた。それでも彼が何かを待ち望む事を止められた訳ではなかったので、彼はあまり長くは自分を騙せなかった。彼は絶望した。絶望は彼にとっては些細なことでしかなかったので、すぐに絶望にも慣れてしまった。結局のところ、彼はいつだって絶望していたのだった。
 実のところ、彼の待ち望んでいるものとは死かそれと同等の破壊だった。彼は周囲の人間達をあまりにも愛していた、そしてあまりにも愛されていた。彼をゆるやかに殺しているものはそういった愛情と期待と温もりだった。彼はいっそ憎まれたかった、疎まれ蔑まれたかった。そうした彼の希望は恐らく傲慢なものであったが、彼はただひたすらそれを願っていたのだった。
 彼は彼自身正体の解らないものを待ち続けたが、幾ら待っても彼の望みがかなえられる気配すらなかった。そればかりか、彼が周囲の愛情に応えずには居られないというだけで、彼にそそがれる愛情は深く大きく、彼の手に負えないものになっていった。今や彼は愛情によって圧し潰されようとしていた、しかし愛するものたちから向けられる好意に背くことなど彼に出来ようはずがなかった。彼はますます人々に優しくなった。それと引きかえるようにして彼は徐々に自分の苦しみに鈍感になっていった。彼は愛情に応えるために自らを殺した。彼が感じるのはもはや退屈ばかりだ。


月はぬことにした (L月)

 不協和音は抱えてきた憎しみを孕んでつよく夜のラウンジに響いた。死を選ぶことに決めた月はもう正常ではなくなってしまったのだった。異常な人間が精神病院で異常な行動をとるのはごく当たり前のことだ、そう月は考えながら鍵盤に怒りと憎しみをぶつけた。もうあと数日で死んでしまう異常者がすこしばかり奇妙な行動をとったからと云って世界が少しだって揺らぐはずがなかった。月はリラックスさえしながら、ただ積み上げていくほかなかった憎しみを鍵盤に叩きつけた。
 憎しみは不思議なことに徐々に薄れていった。不協和音が苛立たしげに響き渡るのを、月はやがて穏やかな気持ちで聴いた。滅茶苦茶な音の奔流は徐々に荒々しさの質を変えていった。月が心に流れる静寂と平和に気付く頃には、憎しみなど最早跡形もなかった。
 月は目の前のピアノを改めて見つめた。白と黒とが整然と並んでいるそれは実に美しい楽器だった。月は自分がいかにこの楽器と奏でだされる音色を愛しているかを思い出した。窓から差し込む月光が優しく鍵盤を撫でていく。月はその光に指を浸すようにして鍵盤に触れた。月の光が波打つ音が聴こえたような気がして、その音に耳を傾けようとするうちに指は白と黒の上をするするとすべっていた。最初は聴き取れないほどかすかに、それからゆるやかに音はピアノから溢れた。月は月や星やそのほかの色々なものに織り成されてゆく音を捧げた。月の閉じた瞼の裏で、ピアノから溢れた音は床一面にひろがってひたひたと打ち寄せている。
 月が次に目を開けたとき、ピアノの端に寄り添うようにして青年の姿があった。竜崎だ。彼は狂人たちのなかでもとりわけ狂人らしい人間のうちの一人だった。竜崎は身じろぎもせず音楽に耳を傾けていた。
 精神病患者で既に治療の余地がない竜崎の姿を見ても、月は初めて狂人たちを目にした時のように怖れたりはしなかった。窓の外で風が吹いて、竜崎の血色の悪い頬を影が掠めていくのを月は不思議なほど穏やかな気分で眺めた。指先はまだまだ自由を楽しんでいるし、心臓の調子も良さそうだった。月は竜崎に向けて微笑んだ。竜崎が微笑み返す。
 音楽がゆっくりと竜崎の心に届いていくのを月は見守った。誰もが竜崎を見放していたし、竜崎はいつでもどこか遠い世界にいた、だからそれは恐らく奇跡のようなものだった。竜崎はじっと月を見つめている。竜崎は特に泣いても笑ってもいなかったけれど、その表情は今までの彼が見せていた能面のようなものとは違っているように思えた。月は竜崎のためにソナタを弾き始めた。


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