希釈 / 墓標 / 永遠 / 17分間 希釈 (月→L) 「こんなことをして夜神くんは本当に楽しいのですか」 無機質な声は頭上からばらばらと降り注いでは僕を打ち、僕は石を投げられた魔女になる。 僕は一生懸命竜崎の肌を辿りながら彼の表情の中に少しでも情欲のあかしが見えないかと探るけれど、彼は横たわったまま不愉快そうに僕を見下ろすばかりだ。 「楽しいのですか」 竜崎が聞きわけの無い子供を糾弾するように僕を見据えた。彼が普段手放さない儀礼的な気遣いが寧ろ僕の首を締め上げる。 「た、楽しいよ……」 僕は俯いて心にも無い言葉を口にする。楽しくなんかはない。そんな即物的な快楽が目的なのではない。僕は竜崎を恋しく思わずに居られない自分を慰めるため彼に触れている。 竜崎は性的交渉を持つなら相手は女性がいいと、明確に述べた。それが当然でしょう、だから私ではあなたの期待には沿えません。それでも僕は竜崎が好きなのだった。そして竜崎に好意を寄せるほど彼の嫌悪しか引き出さないことに尚更絶望した。 僕は出来る限り丁寧に竜崎に触れていった。彼が物理的にでも構わない、僕によって悦ぶところを見たかった。僕は竜崎の下肢に指を絡める。だがそれはいつまで経っても僕の手の中で力無く項垂れたままだった。 「……」 僕は無言で身体を起こすと、乱れた竜崎の衣服をゆっくりと元通りに戻した。竜崎は無感動な視線で僕を眺めていた。満足しましたかと声を掛けられても、僕には答えることが出来なかった。そのまま動けずに居る僕の目から大粒の水滴が幾つも零れてパタパタとシーツに模様を作る。悲しさで息が止まりそうだった。 せめて竜崎にくちづけたくて堪らなくて、僕は接吻を許して欲しいと切なく懇願する。 竜崎は嫌悪の情を顕わに顔を背けた。 「……そんなことをされたら吐きそうです」 僕はそれ以上の言葉を失い、黙って目を伏せた。 竜崎は民衆であり裁判官であり死刑執行人だ、だけど彼は僕を磔にすらしてはくれない。死に切れない断末魔の悲鳴だけが僕の体の中の空洞でいつまでも響いている。 墓標 (月) しじゅう黙りこくったままの僕の背を誰かの手が軽く叩いて、 にくしみを見失っていることに僕はようやく気がついた。 がくぜんとせずにはいられない。 密葬された竜崎の棺は余りにも非現実的だった、 のみならず僕は彼が死を宣告されたところを見てもいない。 あれだけ殺したかったと云うのに、どうだろう。 かけらだって現実味はないのだから。 いらだちを煽るように鈍くひかりを反射する灰色の建物を見据える。 手はとどかないけれど、僕にとってはあれが彼の墓標だ。 永遠 (L月、ニア月) 死んでしまえば永遠だなんて、誰が云った? 流河、竜崎、L。彼が死んでから何日が経ったか、数えるのを止めてから少し経ちます。 竜崎が殺される前の日、彼は僕の手を握って祈るように額にくちづけてくれたので、僕は竜崎が僕を大切に思ってくれていたということにしています。 死ぬ前日まで僕を好きでいてくれたのだとしたら、きっと死んでしまった日も僕を好きでいてくれたのでしょう、だったらもう彼の心変わりに怯える必要はありません。彼が僕から興味を失う日は絶対に来ないのです。 安心。喪失感。必要の無い現実。モノクロの人々が流す涙。俯く父の額。何か後悔にも似た感情の波。そして再び訪れる安心。 竜崎の死に顔はあまりよく憶えていません。 皆が竜崎の名前を呼びながら悲しみを零していた中で、彼の形をしたものを見つめました。それが竜崎じゃなくなったモノなのか、それともまだそれは竜崎自身なのか。僕には判断がつかなくて、とても困惑していた記憶だけが妙に鮮明です。 永遠。不意に、そう思いました。 死ぬということはつまり生が中断されることです。だから竜崎にとって僕が特別だったという事実もまた、中断されてしまっている。 結局のところ、それは本当の意味での永遠を意味するのです。だって中断された感情は二度と変わらないから。後には戻らない代わりに前にも進まない、死の瞬間に切り取られた感情。永遠。 それを実感しながら、僕は名前も知らない男の名残に触れました。死はひんやりと優しい。 竜崎にとって永遠に僕は大切なままです。永遠に。 僕は自分が羊水に浸かった胎児のように安心しているのを自覚していました。 竜崎。 その時、僕はまだ永遠の恐ろしさに気付いていなかったのです。 僕は安心していました。深く、深く竜崎のくれた優しい感情に浸かって、とても安心していました。もう何者も僕と竜崎を脅かせません。だって竜崎は二度と心変わりしないのだから。 だけど、僕は僕を慰める腕に気付かされてしまったのです。 竜崎は二度と心変わりしない。 でも、残された僕はどうしたらいいのでしょうか……? 僕はゆっくりと瞬きをしました。 視界の端に映った彼が僕を見つめる視線が痛いほどに感じられました。 「月さん」 彼が囁きます。 「もう竜崎はいないんです」 彼が囁きます。 「竜崎は、もういないんです……」 彼が囁きます。 ああ、竜崎。お願いだから僕を助けてくれ。 「やめろ……」 「月さん」 「君には関係無いだろう」 「月さん」 「僕は、」 僕は竜崎だけを見つめていたいのです。いつまでも。いつまででも。 永遠に。 あんなに欲しかった永遠は今こうやって僕の手の中にあるのに。 「月さん!」 必死で耳を塞ぐ。 聞きたくない。何も。 「私を見て下さい。月さん。もういない竜崎ではなくて、私を」 嫌だ。そんなのは違う。 お願いだから何も聞かせないで。僕の心をこれ以上かき乱さないで欲しい。 頭を抱え込むようにして耳を塞ぐ。 もっとしっかりと塞がなければなりません。竜崎の声しか聞こえないように。 何にも惑わされないように。 僕は僕のするべきことをしました。後悔なんてするはずがありません、だって僕には使命があるのです。そのためなら何だって投げ出してみせると、僕はそう決めて踏み出したのです。彼の屍を踏みつけにしてどこまでも歩いてゆくのです。 竜崎。 竜崎。 僕はまだお前を憎んでいる、そうだろう? だって僕は憎しみより強い感情を知りません。 恐怖の対象は自分。カウントダウンを恐れながら、優しい言葉に耳を塞ぐ。心変わりなんてしてはいけない、僕はまだ竜崎を憎んでいなければならないのに。重なってくる唇が凶器。それを受け入れてしまった瞬間が僕の本当の死。 ……永遠の、はずだったのに。 ああもう、 竜崎が僕を置いていくから。 死んでしまえば永遠だなんて、……誰が云った? 17分間 (月) ふと振り返ると竜崎が前後不覚になって眠っていた。僕がそう判断したのはいくら僕が起こそうとしても起きなかったからだ。 彼は僕が起きている限りは眠ろうとしない。監視のためなのだそうだ。彼は僕が何を云ってもすぐ「監視しなければなりませんから」「私はあなたをキラだと疑っていますから」などと云って僕を煙に巻こうとする。結局のところ彼は限りなく人間らしさを自分から排除した奴なのだろうと僕は投げ遣りに自分に云い聞かせて我慢することにした。だから竜崎は本当なら僕が起きている今、彼も起きていなければならないのだ。キラを追うという、それは崇高な目的のために。 僕は一旦眠った、だが寝苦しくて目をさましてしまった。脈拍の音が妙に響き、目が乾いた。咽喉の奥が苦いような気がする。そんな時特有の不快な気分が僕は嫌いだった。眉を顰めながら横を向くと竜崎が眠っていた。それは構わない。だが僕だけが起きていては竜崎は後で散々文句を云って一層やる気を失くすであろうことが目に見えていたので、僕は少し逡巡した後、溜め息を吐いて竜崎の肩を揺すった。「竜崎」僕が呼んでも竜崎は返事をしない。「おい、竜崎」目を開けるどころか閉ざされたまぶたは蝋細工のように青褪めていて、その瞼の下には目なんか無いような気がした。彼の中身は蝋とケーブルと幾つものハードドライブで出来ているのだ、きっと。 僕ははっとして竜崎を眺めた。竜崎はよく眠っていた。そうして恐らく完全に夢の中もしくは無意識の海に沈んでいた。きっともうしばらくはどんな光も届きはしない。僕はそのことに気付くと同時に、不安のような安心のような不思議な気分を覚えた。彼は目を覚ますだろう。それまでは眠ったままだろう。だが僕はどちらも嫌だった。二者択一の状況に追い込まれながらも選択の時間を与えられたような具合に、僕はどうしていいのかいつまでも躊躇った。いっそ今竜崎が死んでしまえばいいのにと思った。 困惑しながら僕の目には竜崎の血色の悪い肌に覆われた中身が見えていた。想像の中、竜崎の内部ではケーブルが毛細血管のように広がってゆく。彼の脳から始まったその灰色の血管は竜崎の体中をくまなく蹂躙してゆく。竜崎は苦しんだりはしないがどんな表情を浮かべているのかは僕には解らない。ケーブルに侵されてゆくのは竜崎なのに、僕の胸はどんどん苦しくなってゆく。最早微かに喘ぐように呼吸を繰り返す僕の目の前で竜崎の目をケーブルに支配された瞼が覆って、僕の想像は現実に戻ってくる。 途端、僕は何故自分がそんなことを考えたのかに吃驚した。竜崎が死んでしまえば、なんて。僕はいつの間にか始まっていた軽い耳鳴りに集中していくようにして目を閉じた。暗闇の中、始まりも終わりも解らない音がちらちらと脳裏を走る。僕は睡魔の裾をそっと手繰り寄せた。どちらも選べないのなら眠ってしまえばいいのだ。僕は眠る。そうすれば結末を知らずに済む。何の結末かは、もう考えたくも無かった。 戻る |