夢 / 回遊水槽 / 神話2 / 社交辞令 夢 (L月) 「ごっこ遊び」をしましょう、と竜崎が云うので僕たちは無毛なロールプレイに興じている。僕がキラの役で、勿論竜崎はLだ。 「どうして人をころしたんですか」 最初はごく単純な質疑応答から始められたこの遊びはいよいよ核心に近付いている。僕の頭は竜崎が用意した何かの薬でぼうっとしている。 「必要だったからだ……それは目的じゃなく過程にすぎない」 薬物を使用した上で得られた情報が夜神くんに不利益をもたらすことはありません、そう保証されたつまらないゲームに僕は乗っている。 「ではあなたの目的は何ですか」 「解ってるだろ、犯罪者の居ない……優しい世界が出来ると思ったんだ」 「そんなことは机上の空論です。そんな世界は成り立たない」 突き放す言葉を吐きながら竜崎の手はそっと僕を撫でている。一瞬波立った僕の心はそれで少しずつ落ち着きを取り戻す。 ああ頭がぼうっとする。 「夢……を、みたんだ」 竜崎が何も云わず僕を見ている。僕は自分の口から言葉がぽろぽろ零れおちるさまをどこか遠くから眺めている。 「キラが世界の抑止力になれば、綺麗で優しい世界が……だって、僕は何かしたかった、この世界を……」 僕は俯いて竜崎の手を強く握る。こんなのは僕じゃない。薬のせいで、だから、 「それが……僕なら実現できるんじゃないかって、夢を……みただけなんだ」 僕からはとうとう言葉だけじゃなくて涙まで零れた。なみなみと満たされて僕はそれをすっかり竜崎にこぼす。気持ちがぐらぐらする。 「……いいんですよ、夜神くん。もう眠ってください」 こんなのは竜崎じゃない。優しい声に僕は目を閉じる。竜崎にしがみつくように丸まって、僕はゆっくりと呼吸を繰り返した。 「今日は全部なかったことにしますから安心して下さい。……おやすみなさい」 目を閉じた先に僕は優しい世界を見る。それも見えなくなって、僕の意識は緩やかに闇に落ちた。 回遊水槽 (Lキラ) 大学へ向かう電車の中、不意に自分の中の動力が抜け落ちていることに気が付いて、月はふらりと下車した。 行く先はなく、大学へ行く以外の用もない。自分の速さでゆっくりとホームを歩く月をスーツの群れが追い越してゆく。時間に追われる歩調から外れてみると、人ごみの中でただ一人孤立している自分がいる。 「……どこへ、行こうか……」 独り言はあまり云わない。しかし孤独に押されて声が滑り出た。その呟きを聞く人など居ないことが一層月をからっぽにする。 人の流れに沿ってゆっくり歩いてゆく。まだ授業には間に合う。解ってはいたけれど、月は流されるまま他の路線に向かった。違う電車に乗り込んで、端の席に座る。ビジネス街とは反対方向へ向かう路線は、この時間帯随分空いている。 かたん、と発車する揺れを感じながら、月は黙って窓の外を眺めた。向かいの席に座るスーツの女性が眠っている。彼女もこうしてあてどなく電車に乗っているのだろうか。 電車が止まる度に何人かが降り、何人かが乗車した。三つほど駅を過ぎた頃に向かいの女性も目をさまして電車を降りていった。平日の昼近く。乗客は少なく、月は流れる景色を見ている。 新たに乗り込んできた男が月の二つ隣に座った。この車両に乗客は月を含めて十人もいない。正面を見たままでは男の顔は見えないが、どうやら彼は酷い猫背のままシートに凭れもせずに座り、居心地悪そうに爪を噛んでいるようだった。 「……降りないのですか」 男が座ってからから半周もしただろうか。最初に自分が居た駅が流れさってゆくのを眺めていた月は、男の言葉にすこし驚いてから微笑んだ。 「目的がないんだ」 「そうですか」 規則的な振動が心地いい。視界の端にうつる男の白い長袖のシャツに、陽光がぽたぽたと滴っている。 月も男も無言のまま、緩いカーブの向こうに再度最初の駅が近付いている。ホームに滑りこむようにして停車するのに合わせて、月は静かに席を立った。 「退屈だったんですね」 男が小さくそう云った。月は「そうだったかもしれない」と、やはり囁くように返して電車を降りた。 「捜査本部で待っています」 お互いを見ないまま電車は発車して、円を描いてくるくるとまわる。月は午後の授業に出席するべきであったことを思い出し、今度こそ大学へ向かう電車を選んで乗り込んだ。 神話2 (松田) 神の申し子が人間の罪を背負い、人間のために殺されてから二千年以上が経った。そのひとの肉体は生命を断たれてから三日後になっても復活しなかったが、その理想は人々の心に蘇った、それでかれは神になったのだと云う。それ以上は詳しい話も深い意味も知らない。 僕はたった一人でアルコールを口にしている。何年も前にこの場所、同じ店の同じ席で、僕は隣に座った初対面の女の子に秘密を打ち明けたことがある。それはLと月くんの話だった。 あの時僕はLを継がなければならなかった月くんを堪らなく可哀相に思っていた。幾ら彼が天才であったとしても、Lを継ぐということは彼が選びうる最も悲しい未来であるように感じられたからだ。ひとりぼっちな正義の味方。誰も信頼出来ず、あらゆる責任を負って、しかし死に際してさえ顧みられることはない。ただその頃の僕は、月くんが既にそれよりも更に孤独な選択をしていたことを知らなかった。 あの時以来、この店を訪れるのは二回目になる。店そのものは数年前のままだったが、女の子たちは大半が入れ替わっているようだった。あの夜僕が例え話にのせて秘密を打ち明けた女の子は、とっくにやめてどこかへ行ってしまったのだそうだ。代わりにと隣に座ろうとした女の子を断って、僕は手酌でグラスを傾ける。 神、と呼ばれていた。キラがつくりだす、犯罪者のいない優しい世界。それはあり得ない夢だった。その夢のために、ほんの高校生の頃から月くんは新世界の担い手として世界に自分を捧げていたのだ。かれは自分のために何かしようとさえしなかった、そうしてひたすら理想のためだけに存在していた。それが果たして正しいことだったのか、僕には今でも解らないままだ。ただ、この世界では勝った者が振り翳す主張だけが正義として認められず、そして月くんは理想に自らを捧げ尽くして負けた。それだけが確かだ。 かれは神にはなれなかったな。 グラスを見つめたまま呆然と呟くと、不意にたまらない悲しみがこみ上げて僕はくるしさに俯いた。だが涙は眼球の裏側で押し留められたままで、月くんのために涙を流してやることすらできずにいることが僕には尚更悲しかった。 月くんは死んでしまった。かれの理想を知るものは消え、だからどれだけの月日が経ったとしてもかれの願いが蘇ることはない。月くんはいつしか忘れられてしまうだろう。彼が居たことを思い出せる人間すら徐々に消えてゆく、僕は何も出来ないままそれを見守るだろう。神話はもはや神性を喪って、忘却の優しい手に包まれて世界の記憶から去ってゆく。 これが最後の一杯だ。僕は乾ききった眼で現実を見据えた。これを飲み干してこの店を出たら、僕はもう二度とここに足を踏み入れることはない。 社交辞令 (Lキラ) ああどうしてこんなことをしてしまったのだろう。幾ら後悔したって遅い、僕は一度始めたことを最後までやり通さなければならない。僕は本当は竜崎が嫌いで堪らない、それはもう嫌いで嫌いで顔を見るだけで言葉を交わすだけで頭痛がするくらいには嫌いだ、それなのに竜崎は僕を気に入ったらしい。それが本音なのか演技なのかはどうでもいいが、とにかく僕との距離を詰めようとする行動そのものが僕にとっては苦痛でたまらない。僕は後悔している。僕は本当は自分の思うままに行動するべきだったのだ、竜崎を嫌いであること、それをあからさまに態度に出してさえいれば少なくとも多少はあいつの行動を制限することだってできた。だけど現実はそう思い通りにはいかなくて、僕の愛想笑いも社交辞令も竜崎は全部僕の本音であると勝手に受け止めてその上で僕に近づいてきている。ああ最悪だ。もっと最悪に振る舞ってやりたい、竜崎が愛想を尽かすくらい酷い人間として振る舞うことができたならきっともっと気が楽になるのに、それなのに僕はまた竜崎の言葉に優しく頷いて微笑みさえ浮かべて見せている。今日十七回目に頷いて適当に同意の言葉を吐いて見せた時に竜崎の体がすっと僕に近づいてきて僕は竜崎にくちづけられている。う、うえ、吐きそうだ、そう思うのに僕は竜崎を拒んでいいのやら優しくいなさなければならないのやら解らなくなって固まる。 「月くんは思ったより純情なんですね」 純情なんて言葉はいい加減死に絶えて化石になってそもそも存在すら忘れ去られているかと思ったよ竜崎。僕はのどもとまで酸っぱいものがこみ上げてくるのを必死になって飲み込んだ、これが誰の前であろうとも僕は人前で無様に嘔吐なんかしたくない。それで僕が苦しげな表情で黙っているものだから何を勘違いしたか竜崎が僕をそっと抱きしめた。壊れ物を扱うようなその手つきが本気で僕の神経を逆なでする。 「あなたが好きです」 気持ち悪いのもピークに達して僕の両目にはとうとう涙が浮かんだ。顔が紅潮して噛み締めた唇が細かく震えているのが自分でもよく解る、僕の胃の中は大混乱で、とにかく僕の食道を通って口から脱出したいと強く要請しているけれども僕はそんな許可を与える訳にはいかない。大体僕は今竜崎に抱きしめられているんだ、そんなことをしたが最後だ、しかし状況を再確認するなり僕はあまりの気持ち悪さに涙がぽろりとこぼれるのを止められなかった。は、吐きたい今すぐ思い切り吐瀉してしまいたい。だが竜崎は僕を抱きしめて優しく微笑むので建前上それを拒む訳にはいかない僕は気を遠くしながら必死に耐えるしかなく、あまりの気分の悪さに失神しそうになる限度を見据えながら僕は竜崎を突き飛ばす。 「ら、月くん?」 全く予想もしていなかったらしい僕の反応に驚いた様子で竜崎が声をあげる、僕は多分あと二十秒以内にお手洗いに駆け込まないと胃の内容物を抑えきれないので力の限り竜崎から走り去りながらとにかくこの場を誤魔化すために叫び声を上げる、「僕も竜崎と同意見だよ!」部屋を飛び出して必死に廊下を走り抜けて辿り着いたお手洗いで便器に顔をつっこむようにしてげえげえ云ってすっかり吐いてしまってから僕はようやく落ち着いた。そしてやっと自分の失言に気がついた。 「ああ口が滑った……」 戻る |