無題 / 坩堝 / 逃亡 / 卑怯 / 弱み


題 (Lキラ)

 あなたはなにか特別に見えるのです、と私は述べる。理由は簡単です、私はあなたがキラであると思っていますし、あなたは私にもしものことがあった場合Lをも務められるほどの頭脳と判断力を持ってもいます、そしてこれらの点から見てあなたはその他大勢の人間よりは特別です、特別になってしまっているのです。私は目の前の夜神月という名の、確かにある程度「特別」ではありながらも「唯一」では有り得ないはずの青年を見据え、親指を噛みながらべったりとした言葉を投げる。
 どうもお前は僕が「特別」であることが不満なようだけど、彼はそう云って苦笑する。そんな彼の空々しい口調と態度には心底怖気が走る、それなのに同時に私はそんな彼にいたく満足している自分自身を傍観してもいる。
 私は何度も夜神の目を見るが、その視線は定まらずふらふらと降下していってしまう。噛み過ぎたせいでささくれ立った爪が不愉快で、私は一層強く爪を噛む。
 あなたがキラではないのだとしたら、あなたは何故捜査に協力しようとするのですか。既に何度も繰り返し尋ねた質問を今また頑是無い子供のように繰り返す。解ってるだろう、キラだという疑いを解きたいからだ、彼がいかにも真剣そうな眼差しで私を見る、私には彼がなにか無機物を見つめているようにしか見えない。下らない芝居の予行練習じみた薄っぺらい仮面は、底に籠もった憎しみと無関心が混ざり合って吐き気を催しそうな腐臭を漂わせている。ああ気持ち悪い、今すぐにでも吐きそうだ。
 その吐き気は私を強く揺るがす、彼が私に齎す耐え切れないまでの吐き気に打ちのめされる。私は最早自分の口からぼろぼろと零れてゆく言葉を押さえることが出来ずに居る。ああこれは奇妙なことだ、私が飲み込むのはいつだって真っ白な砂糖の塊なのに、私の口から零れ出るものがどれもどろどろとした汚物なのは何故だろう。解らない。解らない。
 私は私と云う存在を突き崩して零れ落ちる言葉を押し留めようと必死に抗う、だがそれは上手くいかない。私は私自身が決壊する瞬間を呆然と予感する。
 あなたは特別です、私はついにその言葉をとり逃してしまう。私の手を離れた言葉はするりと彼の許へと身を投げ出してしまう、それこそ呆気ないほどに。あなたは私にとって特別なのです。私にはあなたが必要に思えるのです、私は。
 あなたが好きなのです。
 そして彼はにっこりと微笑む。
「……気持ち悪い」


 (Lキラ)

 目の前の男と向かい合いながら僕は苦痛に塗れた息を吐く。
 男の暴力は僕の精神をも押し潰そうとするかのように容赦がない。僕の肉体は彼に蹂躙されてはいるけれど、僕はひたすら男と視線を合わせて、僕が完全に屈服したのではないことを見せ付ける。
 一対一の魔女裁判、彼が正義を騙っているのか、僕が悪魔に憑かれているのか。どちらも証拠は無いままお互いを糾弾する。いつだって勝った者が正義を名乗る権利を掴む。


亡 (L月)

 夢の中で僕は竜崎と逃げる。キラを捨てて、Lを捨てて、誰も僕達を知らない土地へと逃げ出す。
 僕は竜崎をとても大切にしている、竜崎にとって僕が一番大事だ。僕達にお互いより大切なものはない。他に何も要らない。ただ二人で手を繋いで何処までも逃げる。

 目が覚めると、僕の隣で竜崎が眠っている。僕達はまだ逃げ出してすらいないのだということに僕は気付く。
 僕は竜崎を起こし、早く逃げなくては、と伝える。竜崎は無言のまま頷いて、手早く身支度をする。
 そうして僕達は逃げ出す。
 僕は竜崎と逃げる。キラを捨てて、Lを捨てて、誰も僕達を知らない土地へと逃げ出す。
 現実でも僕達は逃げる。何処までも、何処まででも僕達は行けるだろう。
 だが、大して逃げないうちに竜崎が立ち止まってしまう。
 「どうしたんだ」そう僕が訊くと、竜崎は「こんな風に逃げていて、私達はちゃんと逃げ切れるのでしょうか」と云う。「当たり前だろう」と僕は強く頷いてから、また竜崎の手を引いて走る。
 竜崎がまた立ち止まる。僕は焦って振り向く。「竜崎、このままじゃ逃げ切れない、立ち止まってはいけないんだ」
 竜崎は悲しそうに云う、「だけど夜神くん、私達はちっとも先には進んでいませんよ」僕は驚いて辺りを見回す。僕達は最初に居た場所から一歩も進んではいないことに気付く。ああこれでは逃げ切れない。

 僕は目を開ける。僕の隣では竜崎が眠っている。いつもの天井、竜崎が食べ散らかしたケーキの銀紙。そうだ、僕達は逃げてきたのだ。だけど、何から?
 どれだけ逃げても竜崎はLで、僕にはキラではないかという疑いが掛かっている。僕達はどうしたって逃げ切れないのだ、Lという、キラという枷からは。
 その証拠に、僕達の手首は罪人のように繋がれたままだ。


怯 (L)

 そもそも彼が行使しているものは正義などではなかった。それは彼の驕りであり彼の望むままの定義に過ぎなかった。 私はそれを確信し、その上でキラと敵対した。私はキラを理解していた。
 視界が揺らぎ、間近に夜神の顔を見る。それが酷く歪んだ時、 彼は私を殺そうとしてはいなかった。彼の手は私の咽喉には掛かっておらず、 ただ徒に私の名を呼んでみせるだけだった。
 例えキラの策に落ちたとしても、私がどれだけ正確に彼を理解しているかが変わる事は無い。 私には始めから解っていた。彼はただひたすら卑怯なのだ。
 だから夜神が……キラが、その手で私を終わらせることなど決して無いのだった。


み (Lキラ)

「夜神くんは不思議です、あなたには弱みは無いのですか」
 竜崎が資料を見つめながらそう云ったので、僕は心持ちうんざりしながら顔を上げた。
 この男はいつだってこうして唐突に奇妙な発言をするのだ。
 竜崎は爪を噛みながらテーブルに置いた紙の束をぱらりとめくった。
 ただでさえ読めない彼の表情から意図を探ることは、彼が目を伏せたことで不可能になった。
「……あなたは優秀ではあるものの普通の大学生です、特に特殊な環境に居た訳でもない。それなのにあなたは鍛え抜かれた傭兵のように戦う術を知っている、弱みなどというものすらあなたには有り得ないとでも云うかのように、」
「いや、僕にだって弱みはあるよ」
 僕は竜崎の言葉を遮って云った。
「ただ、竜崎にだけは絶対に見せたくないというだけのことだ」
 僕は微かに笑みを浮かべる。
 それは本心だった。僕は竜崎が嫌いだ、憎くて堪らない。
 そういった感情は隠してもいつか発覚してしまうかも知れず、それならこうやってわざと話題にのせて笑い話にしてしまえばいいと思ってのことだった。
 僕が「だって竜崎とは対等で居たいからね」と云ってその話題を冗談として流してしまうまで、竜崎は身じろぎもしなかった。


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