TSUGUMI×O畑


 ここで何か情勢を覆すような展開があるに違いない、と考える読者の予想を裏切って鶫は白い原稿に向かっている。ネームは細かい指定を済ませた上で担当に渡した。用事があると理由をつけて連絡は断った。ここ数日鶫は付き合いの比較的長い知り合いには会っていない。くだらない食事の誘いなどに乗って二度ほど料亭で接待まがいのことをしたがそれだけだ。自分に対する理解のない人間と居る以上に気の楽なことはない。
 O畑のことを鶫は考える。O畑を鶫は疎んでいる。見下している。そして多少執着している。それだけのことだと解っている状態で鶫はO畑のことを考えている。かれは哀れな人間だ。かれの視界は限られている。必要以上に物事を好意的に捉える癖があるのだ。そういった癖は正確な判断をゆがめる。かれの作品にはかれの努力がありありと浮かび出ている。その努力が目につくたび何処からか不愉快な墨のようなものが腹のなかにたまるのが鶫には感じられる。
 O畑は何を考えているだろうか。まだ冷える日が目立つ。かれは相変わらず破れたジャージのままなのだろうか。先日ふとした機会に貰った挨拶の葉書を思い出す。かれには鶫の考えていることなど想像もつかないだろう。予想を裏切るような展開に、くるしく悩んだりもするのだろうか。
 鶫にはO畑を憎んだような時期があった。自分の考えたことを実際に表現する、描くことを完成させる作業。お互いに違う仕事を受け持ってひとつの作品をつくりあげているのだ、と解ってはいても、O畑の技術に鶫は憎しみを酷く掻き立てられた。あなたの筋書きは素晴らしいですね、と云われた時の、相手への優越感、顕示欲の満足、それに意地の悪い猜疑心……その頃の感情を鶫は全て忘れた訳ではない。
 だが鶫は今何も感じていない。原稿用紙を見ながら、鶫は何も考えてはいない。感情は遠いもののように感じられる。つよく動かされた精神は、良い意味でも悪い意味でも生きていた。だが鶫の感情を動かした要素はどれも鶫自身の手によって注意深く取り除かれてきたのだった。
 O畑はこの原稿を受け取って動揺するだろう。鶫の意図をはかりかねて困惑するはずだ。
 だがもう鶫の感情を揺るがすものはない。膝に置いていた手がよどみなく伸びて鉛筆を握る。筋書きは既に決まっている。


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