軽率 罵る言葉はいとも容易に、次から次へと口から流れ出た。憎い、疎ましい、そういった感情は留まることを知らず、僕は激情に唇を震わせながら竜崎を罵倒した。こうした軽はずみとしか云えない行動を僕は本来とるべきではなかった、だがデスノートに関する一切の記憶を失っていた頃の僕は年若い人間特有の無鉄砲さを持っていて、心のままに行動し言葉をぶつけていた。 あの頃の僕は呆れるほどに繊細だった。竜崎を信頼し、尊敬し、認め、親愛の念を抱いていた。僕は感情をこそ大切にし感情によって動いていた。しかし僕は詩人などではなかった。竜崎の存在は僕の中で日毎に大きくなっていったというのに、竜崎は感情というものを美しいと思いはすれど、実際に触れることはなかった。僕が彼に向けた感情は観察され値踏みされてからショーケースに飾られた。そしてそのまま顧みられることはなかった。少なくとも、彼は決して僕の感情に正面から向き合おうとはしなかった。 僕は確かに竜崎に好意を持っていた。僕はあれだけ散々竜崎に自分の抱いた感情を突き付けながらも、それだけは明確な言葉にして云ったことがなかった。それどころか僕はその感情を彼に伝えることを恐れてすらいた。その感情は確かに竜崎への好意であったが、それは普段感情を偽らない僕でも投げ捨てたくなるほどの、無軌道な好意だった。結局僕はその感情を取り立てて隠しはしなかったものの、決して口には出さなかった。竜崎は気付いていただろうが、それでもその度合いまでは知らなかっただろう。竜崎が僕をどう思っていたかは知らない。 僕は恐れていた。僕の感情はごく純粋なもので、打算などは含まれているはずもなかった。それでもそれは僕を不安にさせた。怖い、と僕は思った。この感情を明確に言葉にしてしまうことが、そしてそれを拒まれてしまうことが怖くてならなかった。黙ってさえ居ればいいのだ。僕は何も云わなければいいし、そうすれば彼も何も云わないだろう。 僕はしかし、例え僕が黙って居たとしても結局自分と竜崎との関係が非常に不安定なことを知っていた。確かに竜崎と僕との関係はそれなりに上手くいっていた、しかし竜崎は僕をキラだと疑った上で僕を相手にしているのだった。彼の意思一つでいつだって終わってしまえる関係は尚更僕を臆病にさせた。 だから僕が竜崎を罵りながら、溢れる言葉たちの中に混じってそんな感情の欠片が零れ出すのを見つけても、僕はそう驚きはしなかった。 僕はただひたすら僕の中に溜まった澱のような負の感情に形を与えて吐き出した。とうとう僕が竜崎を殺してしまいたいとまで云うと、僕が自棄になっていると思ったのだろうか、竜崎は取り敢えず落ち着くよう促した。僕は一層泣き出したいような気分になる。 「……お前の傍に居ることが苦痛なんだ!」 冷静に僕を見る竜崎の言葉を強い語調で遮った。ブレーキはとっくに何処かに落としてきてしまっている。僕はこの先に見える結末にいっそ震え上がって泣き叫びたかった。 「夜神くん」 「お前が嫌いだ、お前なんか死ねばいい、キラに殺されて死んでしまえばいいんだ、お前が死んだって僕はお前と一緒になんか死んでやらない……」 ぼたぼたと憑き物が落ちるように、言葉達は僕の唇を離れた傍から死んで床に転がった。頑是無い子供の泣き言のようなそれらの果敢ない感情は、以前の僕が大切に隠していたものだった。僕は痛みに押し潰されそうになりながら、自分の宝物を踏みにじっていく。思わず床に崩れ落ちる。嫌いだ、と絞り出した声はからっぽの掌を埋めてはくれない。代わりに、暖かな水滴が滴った。 僕の前にしゃがみ込んで、夜神くん、と竜崎が僕を呼ぶ。その声の調子は全く普段と変わらないのに、そこに見たことの無いような優しさが垣間見えるのに気付いて僕は愕然とした。 「……お願いだから」 僕は震える息を押し殺すようにして云う。吐き出すだけ吐き出してしまえばいいのだ、最初からそういうつもりだったはずなのだから。僕はそうやって僕を殺す、僕の中の裏切り者を。そうして僕は下らない感情を切り捨て、彼の墓碑を踏みつけにして進む。だからもう感じることなどある訳がないのに。 くるしい。 「お願いだから、僕を信じて欲しい……僕は本当のことが知りたい、そして本当のことを云いたい。お前と僕の間には虚偽と疑いしかないなんて、そんなこと……そんなことは信じたくないんだ……」 最早僕には本心と昔の自分の名残との区別がつかなくなっていた。そんなはずがない、僕はこんな感傷に引き摺られたりはしない。そう思うほど感情は耐え切れないほどに膨れ上がって僕を脅かすように思われた。 溺れてしまいそうになりながら、僕は竜崎の方へ手を伸ばしかけて躊躇った。宙に浮いた手を引き戻すと、呼び寄せられるようにして竜崎が床に片膝をついて僕の頬に触れた。 彼はどういうつもりなのだろうか。僕を疑っている?あるいは単に同情して?それとも、と脳裏を掠めた優しい錯覚に恐怖を覚えずにはいられない。その意図を判断するには僕は余りにも混乱していて、彼の手だけがはっきりと暖かかった。 「夜神くん」 「竜崎、」 「夜神くん、私は」 微かに震える竜崎の声に僕は恐怖した。まさか、そんな筈がない、だって竜崎は……だけど、もしその錯覚が現実になったとしたら、僕はきっと駄目になる。 僕は必死で竜崎の肩にしがみついた。もう限界だった。 「竜崎、僕は……僕はきっとお前を愛している」 それは僕が最も恐れていた言葉だった。軽はずみで、使い古された、娼婦の纏う安物の香水のような言葉。竜崎が言葉を失うのを見つめながら、僕は僕の抱いていた淡く純粋な感情に値段が付けられたことを知った。押し寄せる後悔に、潰える未来に僕はとうとう自分が水底深く沈んでゆくのを感じた。 だけどそれも僕が選んだことだ。軽率だった僕はもう居ない。 記憶を取り戻したことを僕は幸福だとも不幸だとも思っていない。僕には使命がある。記憶と意識がある。いつか僕がそれらを失う日が来た時、僕はようやく祈りをやめるだろう。 「ぜんぶ嘘だよ……そうに決まっているだろう?」 云って、僕は涙を湛えたままそっと竜崎の頬にくちづけた。零れた涙が頬を滑って竜崎の肩に落ちたけれど、僕も竜崎ももう何も云わなかった。 Lも月も、愛という言葉を何よりも恐れていればいい。そうして自分の敵を無慈悲に裁きながら、一方で人間らしい感情をひたすら心の中に隠していればいいです。 出来る限り恋愛っぽくしようとしたのですが挫折しました……しかしこの二人はたとえ両思いになろうとも相手を信じようとしないので結局永遠にそれぞれ片思いをするのだと思います。 戻る |