悪魔祓い (竜崎には犯罪紛いの嗜好がある) (その嗜好が向けられる先は何故か常に月だったが、月はそんな竜崎の行動を暴こうとするどころか、優越も憐れみも彼に対して感じてはいないのだった) 松田さん、それでも僕はむしろ竜崎を守ってやりたいと思っています……。僕の目の前で、その青年は、夜神月は確かにそう云いました。 彼の頬は竜崎に打ち据えられたばかりであるためか痛々しい程紅く、言葉を発すると痛むらしく口の端は先程からわずかばかり歪められたままでした。 彼は僕に横顔だけを向け、視線を心持ち伏せながら、それでもはっきりとそれらの言葉を発音しました。 そんな彼を見ているのが僕には辛くて堪らなかった、だって彼はそうやって空っぽと云っていいほど虚ろな表情をしていながらも美しかった。何故彼がこんなにも美しいのか、僕には全く想像がつかないくらいでした。 しかし思い返せば彼の美しさにはいつだって不幸の香りが漂っていたのでした。 彼は大抵何かに不満であるような、しかし決してその不満を口にしてはならないというような雰囲気を感じさせました。だからと云って、彼はさほど抑圧されていた訳でもありませんでした。むしろ彼は縛られたがっていた、そして自分を縛ろうとして失敗するものたちを憎んでいたのだと思います。 こんなことは僕の考え過ぎなのかも知れない。それでも僕はそれが本当の月なのだと思っています。 彼は実際は完璧などではなくただの束縛願望を抱いた、それでいながら要求だけは誰よりも多い、安っぽい娼婦のような人間でした。 けれど僕は彼を貶めるつもりでそう云っているのではありません。僕は彼に、彼を、……ああ、言葉にするのは簡単ですが、僕はどうしても言葉にしたくない。 僕はとにかく彼を助けたかった。この青年は明らかに苦しんでいるのです、竜崎は月をまともに扱っていない、暴力を働いて間違っていないはずなどが無いのですから。 竜崎は僕達の目の届かないところで月に暴力を振るっていました、そしてその日偶々竜崎に打ち据えられた直後の月を僕は見てしまったのでした。月は何があったのか問い詰める僕を誤魔化そうとしましたが、とうとう僕に何が起こっているのか聞かせてくれたのです。月は僕に腕の切り傷を見せました、それは竜崎が月を強引に引き倒した時に壊れた陶器の欠片でついた傷なのだ、と彼は目を伏せたまま云いました。僕は彼らが何か特別な、恐らくは性的な関係にあるのだということを薄々知っていました。だけど僕にはどうすることも出来ず、ただ歯痒い思いをするだけでした。しかしこんなのは酷過ぎる。 僕は一生懸命月を説得して竜崎から離れさせようとしたけれど、それが上手くいくことはなかった。月は確かに辛いのだと云って僕に相談したけれど、いざ僕がそれではどのようにして竜崎から離れるべきなのかという話に触れると、月は困りきった表情で俯いてしまうのでした。 僕はそれでも説得を続けました。月を思い出す度彼の腕につけられた酷い傷が脳裏にちらついて離れませんでした、僕はその度に何か強く衝撃を受け、いつか月を助けるのだと、助けたいと願いました。 僕は諦めたくはなかった。辛い思いをしている月をむざむざ彼を虐げるものの手の中で好きにはさせたくありませんでした。僕は月がその儚く繊細な美しさを失ったとしても彼には幸せになって欲しかったのです。…… 竜崎が死にました。 それは月が僕に竜崎が彼に何をしてきたのかを打ち明けてからそれほど経っていなかった日のことでした。竜崎は倒れ、月は咄嗟に竜崎を抱き留めようとして彼諸共床に倒れました。 数秒か数瞬か、目を見開いていた竜崎がゆっくりと目を閉じ、月は混乱の中にも明らかな苦しみを滲ませて声を上げました。 僕はと云うと、僕だって混乱していました。自分達も殺されるのでは、という想像は僕達に息詰まる程の恐怖を与えましたし、僕はそんな恐怖を黙って遣り過ごせるような人間ではなかった。僕は恐ろしかった。しかしその混乱の最中、月の袖口から覗いたあの切り傷を、僕はそれでもじっと見つめていました。 竜崎が死んでから、僕は確かに何か悲しみのようなものを感じたけれど、それは僕の中ではさしたる問題ではありませんでした。僕にとって重要だったのは、これで月を傷つける人間が居なくなったということなのでした。僕は出来得る限り丁寧にそして月を悲しませないように慰めました。だけど彼を慰めながらも、もう竜崎のことは忘れてしまえばいいんだ、と僕は考え続けていました。 だからでしょうか、残された月が尚も竜崎を庇うので、僕はとうとう抑えきれない苛立ちと衝動に任せて大声を上げました。 「こんなことをされても!」 僕は声を荒げながら月の腕を掴みました、長袖のシャツに隠されたその腕の傷口はまだ塞がり切っておらず、嘘のように呆気なく彼の血がぽたりと袖口から零れました。僕があれだけ見たかった彼の血が。 そうです、僕は月の血が見たかった。彼が血を流しながらも尚あの美しい廃墟に似た佇まいでいるところを見たかった、そして彼の血を流させる人間が僕であればいいと願っていた。 誰なのでしょう。僕は一体誰なのでしょう。 これでは、これでは僕は、竜崎になってしまったかのようです……。 僕はしばらく呆然としていましたが、僕を見て月が唇を笑みの形に歪めたのを見て思わず混乱と激昂のまま彼の頬を張りました。 乾いた音とともに月の顔がさっと横に向けられました。彼の柔らかな髪が彼の表情と一瞬にして染まってゆく頬を覆うのがひどく勿体無いように僕には思えました。 僕は冷静でした。僕などがこんなにも美しい青年に対してこうも無体な真似をしていいはずなどがないのです、だから僕は本当ならもっと混乱していてもいい筈でした。僕は本来なら自分のしたことに慌てつつ目の前の青年に謝罪したことでしょう、そして彼が受けた衝撃を何とかして取り消したいと、和らげたいと願ってそう行動したでしょう。だけど僕は既にして僕ではなかった。 僕はとても冷静にそして恐らく冷酷に月を見つめました。 彼は数秒ほどそのままの姿勢で動きませんでした、そしてそれはどう見ても僕の取った行動に衝撃を受けているようにしか見えませんでした。しかし僕はもう気付いていました。いいえ、もっと以前から知っていたのです。そんなものは単なる見え透いた演技であることを。 「……ま、つだ、さん……」 彼の声は細く、震えていました。表情は相変わらず僕には見えませんでしたが、僕は月が横向けた顔で皮肉な笑みを浮かべているのを何か直感のようなもので感じていました。 彼はきっと、竜崎が死ぬのを知っていたのでしょう……いつか竜崎が彼の目の前から消えることを確信していた、そしてその時代替になる者を探していたのでしょう。だから僕にあんなことを打ち明けたのでしょう……。 「月君」 ようやく発した僕の声はみっともないくらいに掠れていたけれど、それは決してこの囲われ者のような狡猾さを持った青年を欺けはしませんでした。 月は、きっと今まで彼が竜崎に向けてきたのであろう、毒花のような笑顔を僕に晒してみせました。 「かれを、わすれさせてくれますか……」 僕がなりたかったのは竜崎のように月を傷つける人間ではなく、竜崎の代わりに月を癒すことのできる人間でした。だけど僕は結局竜崎と同じものにしかなれませんでした。全く同じものになってしまっては意味が無いのです。僕は月を守りたくてここに居るのです、それなのに僕自身から彼を守らなければいけないだなんて間違っている。そうではないのですか。 ああ、だから竜崎はあんなにもあっさりと去っていったのでしょう、彼はこれを知っていたから。僕には竜崎が羨ましくてなりません。 目を見開けば、目の前で月が嗤っています。 物凄く厭なお話でしたがどうでしょうか……。これは鬱なのか普通にいけるのかちょっと判別もつかないです。よく考えたら私の小説は大概鬱めいているので。 そして本当に松田さんには申し訳無いなあ……。 戻る |