Ambiguous cruelty

 僕は竜崎を、Lと名乗るあの男を貶めてやりたいと常々願っています。僕が彼に対して抱いているこの感情は日を追うごとに膨れ上がり、今ではそれこそ強烈過ぎて自分でも直視出来ないほどです。僕は竜崎が憎い。心の底から憎いです。
 竜崎が僕の視界であれ意識の片隅であれ、少しでも僕の中に存在を占めている間は彼のことで頭が一杯になります。
 僕は彼の弱みを握りたい、秘密を暴いてやりたい、ずたずたになるまで踏みつけてやりたいしそして咽喉笛を思い切り掻き切ってやりたい。そんな僕の欲望とほぼ大差ない強い希望は結局行き場を持たず僕の中で絶えず低い唸り声をあげています。
 だから僕が竜崎の秘密を知った時、ああその時、僕は果てしのない恍惚感の中に一挙に叩き込まれたかのような錯覚に圧倒され、言葉を発することすらできませんでした。僕の最も得意とするはずの当たり障りの無い愛想笑いすら欠片も浮かばなかったほどです。
 そうです、僕は嬉しかった、あの圧倒的な勝利の感覚はほんの一瞬にしろ嵐のように僕の脳裏を駆け巡り留まることを知らないかのように思われました。
 それはまだ僕が捜査本部に加わったばかりの頃でした。僕たちは会議などに使ったりするものではなく寛ぐために用意された部屋の隅のソファに向かい合って座っていました。僕達の間には小さなテーブル以外は何もなく、柔らかなソファは僕の体の中で響き渡る心拍音を吸い込んで静かでした。
 僕はとりたてて平静を装ったりはせず、ごく静かな口調でそれは本当なのかと問い掛けました。僕は強い酩酊感から呆然としていましたが、竜崎がそれに気付くはずなどがないのです。その疑問を口にしながら、僕の脳裏では期待が激しく火花を散らしていました。たった今聞いたことは本当なのだろうか、彼は真実を述べているのだろうか。そうだそうに違いない、彼が嘘を吐かねばならない理由などあるだろうか。
 竜崎はよほど注意して見ていなければ解らない程度に首を傾げ、「……そうですね」と静かに目を伏せました。
「それは事実ですよ、私は音声を聴くことが全く出来ません」
 僕は思わず溜め息を吐きました。それは竜崎の目にはどう映ったのでしょうか、僕には解りません。ただ、僕はひたすら心中で快哉を叫んでいました。少しでも不幸の要素を持っている竜崎を見ることがどんなに底意地の悪い幸せを僕に齎してくれるのか、実際にそれが現実となるまで僕はずっと想像に想像を重ねるしかありませんでしたから。
 僕はこうして竜崎を憐れむことの出来る正当な理由を手に入れたのです。これを幸せと呼ばずして何と呼べばいいのでしょうか。僕は確かに幸せでした。
 その後竜崎の話によって詳しく知ったのですが、竜崎が聴力に問題を持ち始めたのはかなり昔のことらしく、彼はその頃から読唇術と一般に呼び習わされる技術を習得することを始めたそうです。彼は完全に聴力を失うまでにある程度相手の唇の動きだけで言葉を読み取れるようになり、現在ではそれでほぼ問題はないのだそうです。しかしそれは非常に学ぶのが難しい技術でありながら実用性は意外と低く、絶えず相手の唇を見つめていなければいけないという点で非常に効率の悪いものでした。そもそも彼は最低限の人間としか面と向かって会話をしたりなどしないのです。それを考えると、彼の経た一連の困難と努力は全くもって無駄と呼んでもおかしくなはいのでした。
 竜崎が淡々と語ったそれらの経緯は客観的に聞いてもかなり興味深く、またそういった大きな障壁に出会ったのが竜崎であるということは僕を必要以上に楽しませました。
 竜崎は語り終わるとしばらく沈黙し、それから「私をあわれだとおもいますか」と、心なしかたどたどしい調子で云いました。僕はと云うと、嬉しくて言葉も出ない程でした。竜崎が、Lがこうして弱さを片鱗たりとでも垣間見せる様子は、自ら腹を晒して命乞いする犬を思い出させます。僕はそんな些細な連想にすら恍惚としたものが込み上げてくるのを感じていました。何て見苦しいのでしょう、そして何て憐れなのでしょう。
 僕は憐れみと憎しみと軽蔑の入り混じった不思議な高揚感に流されるままに立ち上がりました。その時僕は自分が何をしているかすら殆ど把握しては居ませんでした、僕は立ち上がると竜崎の許に歩み寄り、そっと体を近づけて彼の頭を胸に抱えました。僕自身は到底冷静とは程遠い状態にあったにも関わらず、僕の心臓はごく静かに鼓動していたことを憶えています。僕は胸に抱いた彼の頭にそっと頬を寄せました。竜崎はどんな表情をしているのか、ふとそれが気になりました。しかし当然のことながら僕達にはお互いの表情など見えてはいません。ゆっくりとした呼吸を繰り返しながら竜崎の背中の辺りに腕を回して数度撫でると、竜崎が僕の表情を見ようとしてか、ややぎこちなく頭を振りました。
「りゅうざき、」
 僕はもう少しだけ竜崎に体を寄せました。最早僕は竜崎の膝と肘掛けの上に座っていると云っても差し支えないような状態になっていましたが、そんなことはその時の僕には全く気になりませんでした。竜崎、ともう一度呼びながら彼の体を引き寄せるようにして抱くと、彼は今にも後方にバランスを崩しかけそうな僕の様子を見兼ねてか、恐る恐る僕の腰に腕を回しました。僕はすっかり満足して、竜崎の耳元に唇を押し当てて囁きました。
「竜崎、お前を殺したいよ……」
 声は聴こえなくても振動は伝わるものです。僕が何か言葉を発したのに反応して竜崎は再度僕の顔を見ようとしましたが、僕はそれを彼に許しませんでした。夜神くん、と云う竜崎の声が微かに聞こえましたが、僕はそのまま何度も繰り返し僕がどれだけ竜崎を殺してやりたいのか囁き続けました。ころす、という単語を口にする度、僕はどうしていいか解らなくなるほどの恍惚感に襲われるのでした。僕は同性に対して性的な興味や興奮を覚えたりする人間では決してないのですが、この時ばかりは僕はどうしようもなく昂ぶっていました。その日、僕は一度だけ竜崎にくちづけました。後にも先にも一度だけのくちづけでした。
 僕はそれからも時折竜崎に抱き締められながら彼の耳元に殺したいと囁き続けています。そしてその度毎に僕は耐え切れない程の恍惚を憶えます、飽きもせずに。
 だって僕は竜崎が憎いのです……。




月のお誕生日のお祝いに何か書きたくて。


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