Happiness in Slavery

 人間はトラウマに出会った時、自分を脅かすものから精神を守るために自分自身を変えるのだそうだ。
 奴隷船に乗せられて故郷や家族から引き離された奴隷達は、トラウマを与えるものと同化しようとするか、現実から目を逸らすべく幼児のようになるか、あるいはトラウマそのものを克服するべく団結する。彼らはそうすることによって必死で自分達を守るのだ。これ以上傷つかないために、死んでしまわないために。それはひどく本能的で、私はそういった人間達を思う度に彼らを哀れまずにはいられない。
 ただ、私の哀れみを欲するものなどいない。彼らが奴隷達だとしたら、そんな彼らが私という奴隷商人の冷酷さの上澄みのような哀れみなどを欲するはずがないのだから。
 私は心持ち目を眇めてベッドに横たわる彼を見下ろす。数歩程度離れてはいるものの、お互いの手首が手錠で繋がれている限りそう大した距離はとれない。
 彼は誰なのだろう。この夜神月という男は、キラではないのだろうか。
 私が間違いを犯すことはない筈だ。私は理性と感情を区別することが出来る人間だし、必要ならば善とは云い切れないような手段を選んだりすることにも躊躇いはない。私は完全に自分を理解した上で動いていて、つまり自分を信用している。私が夜神月をキラだと判断した理由はほぼ直感に近いものだったけれど、彼はいつだってキラなら取るであろう行動や言動を見せた。私とて直感のみで決め付けるほど迂闊な人間ではない。夜神月は充分にキラである証拠を持っていて、だからこそ私は彼に真っ向から勝負を挑んだのだ。
 だが、それがどうだ。今の彼を間近に置き、時間を共有すればするほど私は自信を失わざるをえないでいる。どれだけ自分にこの青年がキラであるのだと云い聞かせようとも、どうしてもその事実を拒まずには居られない。今までの彼はあれほど明らかに彼がキラである証拠を遠まわしにではあるが明瞭に晒して見せたのに、現在この青年はそんな素振りを完璧過ぎると云っていいほど見せない。それこそ別人にでもなってしまったかのようだ。これが演技だと云うのなら私をここまで追い込んだという点において私は完膚なきまでの負けを認めざるをえない。
 そうして彼は、キラとしての彼は失われた。
「……っ」
 私は強い苛立ちを覚えて拳を握った。微かに鳴る鎖の音が癇に障る。こんなもの、キラを捕まえてもおけないのに。
 キラが掴んだ手の中から擦り抜けていったようだ、と云えばちょうど今の状態を説明するのに適切だろうか。私は限りなくキラに近づいていたはずだった、そう、キラの咽喉もとに手をかけたと云っていいほどに。  こういった考えが理性的ではないのは充分理解しているが、気に入らない。続いてゆくキラの殺人、キラであることの片鱗すら見せなくなった夜神、彼の取る不可解なほどの態度。あらゆるキラにまつわる要素が全く私の望むところではない。
 私はベッドの横に立ったままぐいと夜神に繋がる鎖を引いた。途端、少し驚いたように夜神が目を覚ます。あ、と小さく声を漏らした瞬間、彼が一瞬身を縮ませたのを私は見逃しはしなかった。
 じわり、と嗜虐的なものが込み上げるのを感じる。
 どうして彼はこうも捕食される草食動物のような気配を漂わせるのだろう。以前の毒花のような狡猾な鋭さとの落差も相まって、それが私をさらに苛立たせるのを解っているのだろうか。
「……何だい竜崎。僕は眠いんだ」
 その一瞬の躊躇い。それが気に入らない。
「起きていて下さい夜神くん。私はあなたに用があります」
「……用って」
 解りきったことなのに敢えて訊き返す彼を、私は多分憎んでいるかも知れない。恐らくこれは憎しみなのだろう。
「簡単なことです。ちょっと四つん這いになって三十分程度腰を上げていて下さい」
 云うと、夜神の咽喉がひくりと動いた。
 しばらく返答を待ってみるが、夜神は徐々に顔から血の気を引く他は瞬き一つしない。
「了承したのですか。したのだったら行動に移してください」
 そう後を押すようにして云ってやると、彼はようやく咽喉の辺りを引き攣らせながら微かに声を発した。
「……ゃだ」
「聞こえませんよ」
「い、厭だ……」
 私は無言のまま軽く彼の鳩尾に踵を落とした。
「……ッ」
 暴力、というほどの暴力でもない。精々驚かせた程度だろう。大して痛くもないはずだ。だが私がこんな行動を取るたび、彼はいつだって信じられないようなものを見る目で私を見る。彼が恐れるものはフィジカルな暴力などではなく、それらが象徴する、彼の意思を全く無視する私だ。
 恐怖を堪えるようにくるりと横を向いて丸まった身体を軽く抑え付けるようにしながら、私も身体をベッドに乗り上げた。ぐいと彼のシャツを掴んで仰向けにさせると、抵抗を抑えるために脚の付け根に膝を乗せた。手首を一纏めにして鎖を巻き付け、そのまま押さえ込む。
 シャツをたくし上げながら鎖骨の辺りを舐め上げてやると、不規則な呼吸を繰り返す体がびくっと硬直した。
「竜、崎」
「抵抗するのならさっさとしてください。もうあなたの決まりきった哀願にも飽きました」
「何を……するつもり、」
「普段通りです。しかしお望みなら少々新しいこともしてみましょうか」
 至って平静にそう告げてやると、夜神はひどい怯えの中にも軽蔑を滲ませながら顔を背けた。どうやら少しは躾がなってきたらしい。抵抗する分だけ手酷く扱われることくらいは学んだのだろう。だがまだ従順ではない。
 私は夜神の前髪を掴んでこちらに向けた。力を込めたので夜神の目元が歪んだ。
「目を開けてよく見ていて下さい」
 ゆっくりと脇腹を舐め上げる。胸の突起に舌を這わせ、視線が合っていることを確認しながら見せ付けるように甘噛みしてやった。夜神の睨み付けるような視線は揺らがない。悪くない、思いながらさらに執拗に嬲り続けると、充血して痛みを覚え始めたらしい夜神がようやく小さな呻きを漏らした。
 首筋から鎖骨にかけてを唇で辿りながらボトムを下着ごと脱がせると、夜神は不安にか期待にか体を震わせた。「まだ厭ですか」と熱を持ち始めているものを摘んでやる。夜神の頭は緩く下に振られたが、言葉は無い。それを勝手にイエスと受け取って私は指先でそれを弄り始めた。
 直接的な刺激に反射的に夜神の腰が引ける。明らかに擡げられたものを手の中に握りこんで上下に揺すり、先端を親指で押すようにしてくるくるとなぞると、その昂りは一層はっきりとしたものになった。
「……は、……っう」
 浅く呼吸を繰り返す夜神をしっかりと押さえたまま、私は彼の上体を起こすとその背後に回った。纏めた手首ごと左脚を抱え上げ、右脚を私の足にかけて右肘をあてがった。その姿勢を崩さないままベッドサイドに用意しておいた潤滑剤の瓶を手に取りたっぷりと指にすくうと、それを目の当たりにした夜神が今更のように無駄な抗いを始めた。
「無駄です夜神くん」
 耳許で告げて、指を後孔に押し付ける。潤滑剤を塗りこむように丁寧に小さな円を幾つも描きながらゆっくりと押し込むと、夜神が堪え切れずに声を上げた。
「んっ、ふぅ……」
 結局のところ彼はそれなりに慣れているのだ。私が慣らしたのだから当然だが。
 私は出来る限りゆっくりと、緩やかに指を突き込み、内部を掻き回した。繊細な襞を辿るように擦ってやるとそこは私の指を銜え込んだまま痙攣するように震えた。
「っは、はあ……っ、んんぅ……」
 哀れなほど必死に夜神が上がってゆく息を落ち着かせようとするのを横目に眺めながら、そうして私は指をもう一本ねじ込んだ。途端に快感の混じった吐息を吐く彼に哀れみを禁じえない。
 暖かく引き攣る彼の内部に指の腹を擦りつけながら、くるりと円を描いてみる。緩い動きで徐々に抜き差しを浅くしてゆくと、微かに腰を震わせて夜神が私に見えないように下唇を噛んだ。指を三本にして突き込むと、堪えていた嬌声がばらばらと零れる。粘膜に沈んだ中指の先を折り曲げてほんの僅か爪を立てるようにしてやると、悲鳴にも近い声が上がった。
「夜神くん」
 一通り彼の反応を確かめてから、はっきりとした発音で呼んだ。夜神が途端に体を竦ませる。動揺を覚られまいとしてか、すぐさま微笑をつくってこちらを見るのが忌々しい。確かにこの関係をつくりあげたのは私だけではない、彼にも彼の打算があってのことだ。それなのに何故彼はこんなにも従順なのだろう。彼はこんな時顔を逸らしながら屈辱か何かでプライドを切り刻まれるような表情を浮かべるべきなのだ。そんな彼に私は更に嗜虐的な言葉を囁き、彼はそのようなことはいかにもどうでもいいといった風情に視線を放り投げ、しかし挑戦的に口角を上げて見せるのでなければならない。
 夜神をキラ容疑で監禁した頃から、彼はどこか従順になった。そして同時に沢山のものを諦めた風に見える。自尊心や、自由や、それに人間としての尊厳を。
 彼はキラを追い捕らえるためにはそうせざるを得なかったのだと語る。お前は間違った方向を向いているんだ、僕なんかを疑っているなんて時間の無駄だ、僕たちはキラをこそ追うべきだ。
 彼は本心から云っているのだろうか。それが本心だとしたら馬鹿馬鹿しいことこの上なく、嘘だとしたら下らない三文芝居だ。どちらにせよ、私は夜神がそういった発言をする度に酷く苛立たずにはいられない。
 そのせいだろうか、時々どうしても彼を手酷く扱ってやらねばならないような気になることがある。
 手酷く、というのは単純に物理的なものを指しているのではなく、言葉や態度、あらゆる方法で彼に負の感情を突きつけてしまわずにはいられないという意味だった。
 それなのに、何故彼はこんなにも従順なのだろう。まるで全てを諦めてしまったかのようだ。例えば何もかも手放して、見失ったとしたら、きっとその時も彼は今のような微笑みを浮かべるのだろう。
 彼が私に従うということで確かに歪んだ何かは満たされるけれど、私が求めているのはこんな従順さではない。
 今だって彼は嫌がるし拒みもする、だが以前の彼ならどれほどの窮地に追い込まれようとも、明確すぎるほど明確な殺意をこめて私を見た。そうしてその度に私は彼がキラであることを確信していたのだ。それはいっそ彼との性交にも匹敵する快感であったと、私は断言することが出来る。
 だが、彼は居ない。少なくとも、私がこうやって組み敷いているこの青年は、キラではない。
 キラは何処に行ってしまったのだろう。私を置いて。私を殺しもせず。
「りゅ、ざき……ゆっくり、してくれないか」
 昂ぶったものを押し当てると、夜神がやや掠れた声でそう云った。唇はまだ笑みの痕跡を残していて、だがその目は伏せられている。睫毛が胸の上下と共に震えた。
 どうするかは私の勝手です、嘯きながら熱をぬめる肌に擦り付ける。そのまま緩く綻んだ入り口を嬲れば、注文をつけたばかりのその口で夜神が「竜崎」と私を急かした。
 私はぐっと先端を飲み込ませる。敏感に反応を返し、短く呼吸を繰り返す夜神に「まだ注文はありますか」と機械的に訊いてやれば、彼は少しばかり傷ついたとでも云うような表情を浮かべた。
 彼のこういった表情を見るのは嫌いではない。出来ることならいっそもっと酷く彼をいたぶってみたいくらいだ。だが、それでも満足というものからはまだ程遠かった。
 律動は緩やかに始めるものだ。
 私はゆったりとした抜き差しに合わせて腰を微妙に揺らす夜神の表情を伺った。腰が揺れるのは半ば反射によるものであるし、常識に照らせばその方が効率が良いものなので全く問題はない筈なのだが、彼は羞恥心を堪えるように視線を逸らして声を噛み殺していた。上気した頬が横を向いているので、首の柔らかそうな皮膚が晒されている。
 キラをどこへやったんだ。私は彼の白い首筋に噛みつきたい衝動を辛うじて抑える。性的にではなく憎しみから彼に噛み付きたかった。キラと同じ顔をしながら別人のように微笑んで見せるお前が憎いと、明確に意思表示をしたい。
 一際深く突き込むと、夜神が絶え入るように唇をわななかせた。動きを遅くしてみれば、泣きはしないものの泣き出しそうな表情を浮かべて熱い息を吐いた。
 私は表情は変えないままぎりぎりと奥歯を噛み締める。今すぐにでも体を引き離してしまおうか、そう思った。以前の彼なら、私が焦らそうとするとわざと締め上げてみせるくらいのことはした。何故こんなにも態度が違うのだろう。
 彼はまるで売られてきた奴隷のようだ。一つだけ違いがあるとすれば、それは彼が最早叛逆者であろうとはしなくなってしまったことだけなのだろう。
「……あなたはキラなどではありません」
 言葉を発してから、私は他人事のようにそれを聞いた。意図して云った言葉ではなかった。ぱっと勢い良く夜神が顔を上げ、驚いたような信じ切れないような表情で私を見た。それから、幾許かの不安。だが私こそ驚いていた。明らかな失敗だが、私はそれをフォローするどころか、続く言葉を止めることすら出来なかった。何かがもう、限界に来ていた。
「あなたでは……キラにはなれません」
 私は夜神と交わる動きを強めながら彼の耳に唇を寄せてそう呟いた。吐息は熱く、些細な動きの一つ一つが性的な意味を持っていて、だからこの発言は聞きようによってはただの睦言でしかない。どう取るかは、彼の自由だ。
 今の発言を睦言と取ってもいいのだと促す意味も込めて耳の下のあたりにくちづけると、それをやんわりと振り払うようにして夜神が私と目を合わせた。
「そうだね、お前の云う通りだよ」
 云って、夜神はにっこりと微笑んだ。その目は以前の彼が私に向けていたものと同質の、愉悦にまみれた殺意を抱いていて。そして彼は食い殺すように私の唇を貪る。
 ああ、これを待っていた。
 あるいは彼こそがキラなのだ。私は彼の鮮烈な意思を抱いた視線には息を呑まずにいられない。彼が私の想像の余地すら超えて私という存在を凌駕しているのだとしたら、キラ、その時こそ私はお前の足許に倒れ伏してやる。
 私はそうして、絶望的なまでの快感に震える。




secret xxさん主催のLキラアンソロジー『uncontrolled vol.2』に寄稿させて戴いたものです。
2005年1月頃に寄稿した原稿なのですが、多分書いたのは前年の12月頃だったと思われます。よって表現方法など現在にもまして未熟なばかりですが、敢えて改稿はしていません。


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