現実を讃える 竜崎は僕がキラであることを願っている。 正義とかそう呼ばれるものとは関係なく彼はそう望んでいて、それがいかにも矛盾しているのが僕は大好きだった。 だって彼は自らのそんな矛盾を許容してはならないのだ、決して。そのような状況に自分を置いたのは彼自身であるので全てはまったくもって彼自身の責任であり、当人が自ら定義し完結するべき問題であるのだけれども。 彼が正義と云う名を背負おうとする限り、彼はそれを裏切り覆す訳にはいかない。それは明らかだ。 それなのに彼はあまりにも明確に悪を内包していた。 飢えるようにして正しいものを求めているのに、その手は悪によって汚されている。完璧な正義など結局は有り得ないのだと、正義を振りかざすその傍から自分の信念の根本的な欠陥を指摘し続けている彼を眺めるのは、いっそのこと凄まじい快感だった。 だって彼の正義は、突き詰めてしまえばキラの正義と同義だった。 ただ手段が違うだけで。 どちらも神経質な白の世界を望んでいながら、竜崎は薄汚れた倫理に妥協し、キラは実現を求めて自ら泥の河に踏み込んだ。そうして穢れに身を浸しながら世界を造り直そうとするその脆くも美しい視線を、きっと竜崎は羨んでいるのだ。それは彼が選びたかった、だが選ぶことの出来なかった道だからだ。現実に絶望し抑圧されるしかない異端たちは理想郷を夢見る同志だけれど、ひとたびその同志が理想郷に向かうとなれば話は別なのだ。実現が不可能だからこそお互いに縋ることが出来る、共に安らかな夢を見て、全ての現実から目を逸らし耳を塞げばいい。けれど、もしも実現してしまうことが可能なのだとしたら。そして自分だけが腐臭に塗れた現実に取り残されるのだとしたら。そうしたら……たった今まで同志だった者も結局裏切り者になる。 僕は悪が嫌いだ。捻じ曲がったその存在を憎んでさえ居る。 けれどぼくはこの世に完璧な正義も悪も存在しないことをよく解っていた。竜崎はそこを敢えて白と黒に分けようとしている。そんなことは間違っている。それは並々ならぬまでの正義であると同時に、ただの悪以上の悪だ。 絶対悪などというものは神が創り出したスケープゴートに過ぎない。存在しないカテゴリに全ての事象を当てはめようとする行為そのものが正義と云う名称を冠するに値することだけは永遠に有り得ない。 だからそうして何かを裁いてしまった時点で竜崎は、彼がキラと呼ぶその悪と同化してしまっている。 竜崎がまことに裁くべきは自分自身なのだということに、彼はきっと気付いているのだろう。美しくも安らかな矛盾。正義の抱いた歪みを優しく覆い隠してくれるその手を僕は幸福と呼べばいいのだろうか、不幸と呼べばいいのだろうか。僕には解らない。きっと、理解しようとしたところでこの手から擦り抜けてゆくのだ。そうだろう? 罪人を裁く裁判官そのものが間違っているのだとしたら、この世とはなんて滑稽で脆いものなのだろう。僕はそんな世界を、ひいては竜崎を、愛し憎まずにはいられない。 ああ、きっとこんな僕達を終わらせてくれる死神は慈愛に満ちている。 「は……ぁ」 僕は下肢に手を伸ばす。そっとボトムに指先を忍び込ませると、緩やかに自分自身を掌に包み込んだ。 たった今まで真剣に考え込んでいたとは自分でも信じ難いほど、その部分は酷く疼いていた。きっと、こんなことを考えながら自慰をする僕はおかしいのだろう。 ……だが、誰の基準で? 僕はそれこそ厭と云う程正義だとか悪だとかいう建前を聞いてきたけれど、その明確な境界を示して貰ったことは、この目にしたことは一度たりともない。ならば、何処からが悪で、何処までが正義なのか。 不文律程度の力しか持たない倫理を疑わずには居られないという点で、僕とキラは同じだった。 ああ、僕はキラなのか? 「……、は、……ん」 隣では竜崎が眠っているし、手首は鎖に繋がれているから、何かの弾みで彼が起きないとも限らなかった。こんな状況下で自慰をするほどの妙な趣味を持った憶えは絶対に無かったし、そんなものしなくても生存には全く差し障りが無いことも事実だった。 それなのに。 僕は声を殺し出来る限り息を整えながら自分自身を擦り上げた。目を閉じ、枕に押し当てた唇を戦慄かせながら、僕は熱くなってゆく息をひっそりと零してゆく。先端に軽く爪を立てるようにして引っ掻くと、自分でした事なのに背筋に寒気にも似た震えが走った。 僕がキラだったら。そんなことを考える。やめろ、それは危険な発想だ、と自分自身に命令してみるが、どうやら僕は自らの手を止められないのと同じように、甘い予感から逃げ出すことが出来ない。 僕が。僕がキラだったら。そうしたら、どんなにいいだろう。 だって彼は僕がキラであることを祈っている。竜崎は、僕、夜神月がキラであることを願っている。その祈りはキラではない僕を確実にそして致命的に破壊しているのに、彼は気付いているのかどうか。 彼はいつだってそうやって僕をずたずたに否定する。 どうせ僕を壊すのなら、せめて自分が何を壊しているのかくらい認識してもいいのではないだろうか。そう思うけれど、彼は悲しいまでにキラだけを見つめていて。 教えて欲しい、僕は何者なんだ。 「…っ、ぁ、はぁ……は」 自慰を終えて横を見ると、竜崎がじっとこちらを見ていた。 僕は多分、最大の優しさを込めて微笑んだ。 きっと僕はキラだよ、竜崎。竜崎がそう云うなら。 僕は今度は竜崎の方を向き、彼の肩に左手をついてその腰にまたがる。見下ろした彼と視線を合わせながらもう一度濡れた掌で自身を扱き上げ腰を擦りつけた。浮かべた笑みは崩さないまま、恐らく熱に浮かされたような目をして。 竜崎の責めるような褒めるような視線に一層熱くなった。竜崎が僕の腰を掴んでくる頃には、僕の笑いは止まらなくなっている。こんなの狂っている。 何が悪で何が正義で何が真実なのか、さあ教えて貰おうじゃあないか。 僕は粉々に砕け散った僕が竜崎によって再構成されてゆく快感におぼれる。 そうだよ、竜崎。僕がキラだ。 ……だってお前がそう望んだんだ。 推敲のために読み返してようやく気付いたんですが、これって襲い受けじゃ……? 書いている間は全く気付きませんでした。流石は月。ピュアでも根は性悪です。 とりあえずキラの復活が近い予感がする記念と、東京事変のアルバム『教育』が手に入った記念と云うことで。 椎名林檎氏の音楽には非常に創作意欲を刺激されます。大好きです。 戻る |