ハッピーサマーウエディング sample 表紙: もちきゅうさん |
虎徹がとある一流ホテルの宿泊券を渡されたのは、相変わらず広告だの撮影だのに駆り出されていたある日のことだった。バーナビーがKOHになってからというもの、バディを組んでいる虎徹までもが忙しくてかなわない。今までとは打って変わってちやほやされていることに若干の理不尽さを感じないこともなかったが、所詮世間などそういうものだ。努力次第で勝ち上がれるという意味では、むしろ爽快ではあった。 スポンサーの一人からお礼だと言われて渡された封筒はごく薄く、バーナビーは片眉を吊り上げて怪訝そうな顔をしたが、金銭ではなくホテルの優待券だと説明されてようやく納得したようだった。幾ら芸能人のような扱いを受けているとはいえ、ヒーローとしては金銭を授受するわけにはいかない。優待券なら問題ないだろうと、虎徹はオリエンタル風に会釈をしてそれを受け取った。堅苦しいスーツに身を包んだスポンサーの前だと居心地が悪いのは相変わらずで、二人は、特に虎徹の方はそそくさと挨拶を済ませて退散した。 次の場所へ移動するために車に乗り込んだ彼らは、早速その封筒を開いて中身を見た。待ち切れなかった虎徹の様子を見てバーナビーが苦笑する。嫌味の一つでも言われるかと覚悟したものの、近頃のバーナビーは彼を随分と買い被っているようで、それ以上の反応はなかった。むしろ一緒になって覗き込んでくる。 「えーと……これ、どこにあるんだ?」 「虎徹さんも知ってるはずです。そういえば今回のスポンサーはここのホテルのグループ企業でしたね」 やたらしっかりしたつくりの封筒に入れられたその宿泊券を取り出し、ためつすがめつする虎徹に、同じ封筒を持ったバーナビーがあっさりと場所を告げた。シュテルンビルトよりはだいぶ南に位置する都市で、カシノやギャンブルで有名な観光地。砂漠に光るダイヤモンド、別名眠らない街だ。 「ああ! あそこか! じゃあ次の休みにでも行くか」 虎徹が得心して声をあげる。一方のバーナビーはちょっと困ったような表情を見せた。反対車線を走る車のヘッドライトが彼の眼鏡のふちに反射する。 「次の休み……ちょっと僕の方はテレビ番組に出演依頼が来ているんですよね」 「またかよ。さっすがキングオブヒーロー」 「そんなことありませんよ」 面映そうにバーナビーが微笑む。そうして、彼はあっさりと宿泊券を虎徹に押し付けた。 「これは虎徹さんが持っていてください。また今度、機会があったら行きましょう」 ……それが数ヶ月前、正確には五ヶ月と二週間前の話である。 レッドカーペット以来激変したスケジュールに押されてすっかり溜まってしまった雑誌やダイレクトメールを整理していた虎徹が、あのチケットを再度発見したのが昨夜のことだった。そういえばあんなこともあったな、と虎徹はチケットをしげしげと眺めて思い出した。三泊分の宿泊券は、バーナビーの説明によれば、実際に支払おうとすると結構な金額になるそうである。よく見れば有効期限はちょうど半年間で、それだけの期間触れられもしなかった優待券ではあったが、無駄にするには忍びない。 今日もバーナビーは女性誌の取材があるとかで、午前中は不在にしている。彼と会えるのはトレーニングルームだろうと当たりをつけた虎徹は、ポケットに封筒ごと捻じ込んで自宅を後にした。 街を歩けばどこもかしこもバーナビーとワイルドタイガーの広告でいっぱいだ。ビルのスクリーンに映し出された洗剤のCMで、二人が銃よろしく洗剤を構えている。あのCMでは何度もリテイクを出してしまって、収録時間が大幅に延びて大目玉を食らったのが記憶に新しい。そのすぐ横をゆったりと飛んで行く飛行船にも二人の姿が印刷されている。新発売の文字が色を変えてちかちかと点滅していた。 目指すトレーニングセンターに到着し、ロッカールームで着替えを済ませた虎徹は、少し迷ったものの優待券を持ったままトレーニングルームに入った。まだ少し早い時間帯だということもあって、人の姿は少ない。見慣れた大きな背中を見つけて、肩を叩く。アントニオだ。 「よう!」 「おう、虎徹じゃねぇか。今日は取材とかはないのか?」 「バーナビーだけだよ」 「キングオブヒーローはここんとこずっと引っ張りだこだな」 「まあな」 他愛もない遣り取りをしながら、虎徹は腕を伸ばした。ストレッチをしつつ、今日のトレーニングメニューについて考える。体調は万全だ。いつも通りのトレーニングに加えて、一つくらいメニューを増やしてもいいだろう。 「じゃあな」 「おう」 手をひらひらと振り、ストレッチを続けながら虎徹はアントニオの背中を見送った。アントニオが再びマシンに向かってトレーニングを続ける。虎徹も一通りの柔軟を済ませてから、いつものトレーニングマシンに向かった。 しばらくトレーニングを続けているうちに、ちらほらと他の面々も現れた。まずはパオリン、それからイワン。カリーナが来るのは学校が終ってからだろうから、まだ先になるだろう。 だいぶ賑やかさを増したトレーニングルームにバーナビーがやって来たのは、虎徹が来てからちょうど二時間程度が経過した頃だった。 休憩スペースで汗を拭いがてらスポーツドリンクを飲んでいた虎徹は、シュッと開いたドアの向こうに金髪を見つけて腕を上げた。 「お疲れさん」 「ああ、虎徹さん。お疲れ様です」 柔らかく微笑み、バーナビーがやって来る。虎徹の前に立って、彼は小さく首を傾げた。 「何か用でしたか」 「そうそう! お前を待ってたんだよ」 よくわかったな、と目を丸くした虎徹の横にバーナビーが腰掛ける。虎徹はスポーツドリンクのボトルをすぐ隣のテーブルに置くと、ポケットを探って封筒を取り出した。 「ほらこれ」 「ああ……そういえば」 示すだけで、彼はすぐに気付いたようだった。 「もうそろそろ期限が近いんじゃないですか?」 「そっ。再来週いっぱいまでだよ。すっかり忘れちまってたが、いい加減行こうぜ」 「再来週、ですか……」 受け取った封筒を開いて確認し、バーナビーは思案顔で腕を組んだ。少し考えてから、嘆息する。 「雑誌の取材と単独での広告の依頼が来ていて、ちょっと難しそうです」 「ええー何だよ付き合い悪りぃなあ」 「すみません」 虎徹の不満げな発言に、バーナビーが苦笑した。大人げない言い分ではあったが、二人で行くことを前提に考えられていたことを知って満更でもない表情を浮かべている。 「せっかく二人で貰ったんだから、俺とお前で行こうと思ったんだけどさぁ」 「仕方ないから誰かにあげるのもいいですし……虎徹さん、誰かといってきたらどうですか」 「えー、でも楓はカシノに入れる年齢じゃないぞ」 難しい顔をする虎徹に、バーナビーが笑う。 「娘さんと行ってどうするんですか。誰かヒーロー仲間でも誘ってくださいよ。よかったら僕の分もあげますし」 「えっお前行かねえの」 「ギャンブルには興味ありませんから」 微笑んで、すいと視線を向けたドアの先、そこにちょうどキースが入ってきた。いつもの笑顔で皆に挨拶している。 「みんなこんにちは、そしてこんにちは!」 「あっスカイハイだ!」 「よう、スカイハイ」 早速パオリンが走り寄って行く。和気藹々と話しながらこちらに向かって歩いてくる姿をバーナビーが示した。 「スカイハイさんなんて、どうでしょう」 「ええっ、スカイハイぃ?」 「こんにちは、ワイルドくん、それにバーナビーくん! 呼んだかい?」 しまった。当人に聞こえていたか。舌打ちをしても遅い。 虎徹の上げた声に気付いたキースが近寄ってきた。いつもの爽やかな笑顔で挨拶をしてくる。困惑したままの虎徹を尻目に、バーナビーが指に挟んだ封筒を彼に差し出した。 「実はこんなものを貰ってしまったんですが、有効期限が近いのに僕は行けそうにないんです。スカイハイさんさえよければ虎徹さんと行きませんか」 「ホテルの……宿泊券かい?」 「はい」 渡された封筒を受け取り、中から二枚のチケットを取り出したキースがそれを見ている隙に、虎徹は肘でバーナビーの横腹を突ついた。 「おいっ、何でよりにもよってスカイハイなんだよ!」 バーナビーがそれに返答しようと口を開きかけた瞬間、キースの明るい声が上がった。 「いいとも! そして問題ない!」 「……はっ?」 恐る恐る顔を上げ、虎徹が呆然とキースを見上げた。彼は二人の意図など知らずににこにこと笑っている。 「たまには溜まっている有給休暇を消化しろと指示されていてね、ちょうどいい機会だからご一緒させて貰うよ、ワイルドくん!」 「……マジで?」 「ワイルドくんと旅行に行けるなんて楽しみ、そして楽しみだ!」 「ほら、スカイハイさんもそう言ってますし。二人で行ってきてくださいよ」 満面の笑みでそう宣う様子に虎徹はしばらく途方に暮れていたが、やがて観念して肩を竦めた。彼は嬉しそうに頬を紅潮させており、今更こちらから断ってがっかりさせてしまうのも忍びない。 「わーかった、わかった。二人で行こう」 「ありがとう、そしてありがとう!」 「あーもう礼はいいから。お前トレーニングしに来たんだろ、行ってこいよ」 「そうするよ。それではまた!」 足取りも軽く去って行くキースから視線を離し、虎徹は恨みがましい眼差しをバーナビーに向けた。 「おいおい、何だってよりにもよってスカイハイなんだよ。あんなクソ真面目な奴カシノに連れてってどうすんだ」 「普段真面目なくらいがいいんですよ」 一部始終を見守っていたバーナビーは、ソファから腰を上げるついでに悪戯心の覗く笑みを虎徹に向ける。ぽん、と肩に手を置き、彼の耳元にこっそりと囁いた。 「……あのスカイハイさんが羽目を外したら、面白そうじゃないですか」 「勘弁してくれよ……」 ため息と共に吐き出された言葉は歩き去っていくバーナビーには届かない。後に残された虎徹はしばらく唸っていたが、やがて諦めて伸びをした。確かに、彼のプライベートな姿を知る人間は少ない。他に思うところはあったものの、こうなったら楽しむことだけを考えるべきだろう。 キースが観光地でどう羽目を外すのか、見てみたいと思ったこともまた、事実だった。 (本編に続く) (08.10.12発行) 戻る |