In Your World
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表紙寄稿: 七弥さん


「はいっありがとうございましたー! お疲れ様でしたー!」
 スタッフの声がスタジオに響いて、収録がようやく終了した。
 次々に雛壇から降りていく出演者たちに混ざって、スカイハイもまたゆっくりと照明に照らし出されたセットから歩き出した。
「お疲れ様です、スカイハイ。次の収録の時もよろしくお願いします」
「勿論、そして勿論だとも!」
「いやーさっきのあれ面白かったですよ! あのシーン、どアップで撮らせて貰いましたからね!」
「あれ……とは、どれのことだろう」
 駆け寄ってきたスタッフたちに口々に言われ、スカイハイはその場に立ち止まると腕を組んで首を傾げた。
「やだなあスカイハイさん、ほら、クイズの回答ですよ。まさか『歴代のヒーローをできる限り沢山回答ボードに書きなさい』っていうクイズで、回答欄を『歴代のヒーロー』『歴代のヒーロー』ってひたすら書いて埋め尽くすとは、完全に予想外でした」
「ああ、あれは枠内に何回『歴代のヒーロー』という文章を書けるのかを競うものかと思ったんだが……」
「あっはっは、もう収録は終わってますよぉ!」
 笑いながら肩をバンバン叩かれ、スカイハイはマスクの下で複雑な笑顔を浮かべた。どうやら目の前の彼らはスカイハイがあの回答を狙ってやったものだと信じ切っているようで、微妙な居心地の悪さを感じずにはいられない。
 正直なところ、自分のとる行動のどこが笑いを取れるのか、彼にはよくわからない。毎度会話に微妙なずれを感じる羽目になるので、こういった番組に出演するのはあまり得意ではないのだった。
「そうだね、ええと……それでは、わたしはここで失礼するよ」
「お疲れ様でした、ありがとうございました!」
「ひー笑いすぎて腹痛い……お疲れ様でしたー!」
 この日、スカイハイはごく一般的なバラエティ番組に出演していた。テレビ番組の収録を終え、スカイハイはマスク越しに収録スタッフたちに笑いかける。表情は見えてはいないだろうが、僅かな首の傾きで伝わったのか、未だに笑い続けているスタッフの横に立っていた女性が柔らかく破顔した。
 彼は彼女やその後ろに控えるスタッフたちに手を振って見せると、スタジオを後にした。入れ代わるように、早速自社のアシスタントが走り寄ってくる。
「スカイハイさん、お疲れ様です!」
「今日の収録はこれだけだったと思うが、何か他に追加の予定はあるだろうか?」
「いえ、今日のところはこれで終わりだそうです。ポセイドンラインに戻りますか?」
「それなら一旦戻ろうと思うよ」
 テレビ局の狭い廊下を進みながらスカイハイが答えた。まだ時間はある。一度社に戻って着替えてから、トレーニングをすることができるだろう。今日は朝からずっと番組の収録や雑誌の取材のために拘束されていたので、日課にしているトレーニングが全くこなせていないのだ。
 彼の意図を読み取ったアシスタントが頷く。スカイハイには固定のアシスタントが居ない。適宜ローテーションで代わっていくアシスタントたちのうち、まだ若い彼と顔を合わせるのはこれが数回目だが、若いながらも非常に気のつく人物だと思っていた。
「わかりました。車はもう用意できています。トレーニングに行くなら、その後でお送りしますね」
「助かるよ、そしてありがとう!」
 建物の裏手の駐車場に出れば、彼の送迎に使われている車がするりと滑り込んできた。スカイハイのためにドアを開けてから、アシスタントの青年もまた助手席に乗り込んだ。
 今回の収録があったスタジオからポセイドンラインまでは、多少の距離がある。飛んで帰ってもよかったのだが、スカイハイは彼らの厚意に甘えることにした。ジェットパックの出力も無限ではないので、こうして節約できた分は夜のパトロールに回すことができる。
 後部座席から窓の外を眺めるスカイハイの背中には、銀色に輝くジェットパックが背負われている。それが背中にあるために座りづらいのではないかと、何人もの社員やそれ以外の人々から尋ねられたこともあった。だが、彼自身はそれを気にしたことはない。ぴっと背筋を伸ばしたまま、スカイハイは遠く前方にあるシュテルンビルトを眺めている。
 一般道からトールウェイに上がった車は、緩やかに加速しながら他の車に合流していく。暮れなずむ夕陽が眩しく輝き、周囲を走る車の車体に反射している。スカイハイもまた、その身体に纏ったヒーロースーツを煌めかせていた。
「今日は、何事もなくて良かったですね」
 不意にアシスタントの青年に助手席から話し掛けられて、スカイハイは視線を窓の外から前方に向け直した。
「そうだね。その通りだ」
 正確には、ここのところずっとだけれども。彼はあえてその言葉を呑み込んで頷いた。
 最近のスカイハイには、バラエティ番組の出演依頼ばかりが続いていた。それがどういうことなのか、わからないわけではない。
 マーベリックが起こした事件以来、シュテルンビルトはほとんど平和と言っていい状態にある。大きな事件はほとんど起こらなくなり、時折発生するちょっとした事件は、ヒーローの手助けなしに解決することが多々あった。特殊な能力を必要とする事件がそう日常的に起こることは、本来はあまりないはずなのだ。そう考えると、マーベリックが言った通り、ヒーローの存在意義というものは確かに彼によって支えられていたのだろう。
 少しずつ存在感を失いつつあるヒーローとして、焦燥感を覚えたりはしていませんか。そう彼に問い掛けたのは、どの雑誌の記者だったのだろう。スカイハイは彼の信念に基づいてその意見を否定はしたものの、その言葉が彼の活動に全く影を落とさなかったのかと言われれば、それは否定のしようがない。
 わたしはいつまでヒーローで居られるだろうか。ふとそんなことを考えたスカイハイから何を察したのか、助手席のアシスタントが小さく咳払いした。
「その、……僕は、ずっとスカイハイさんのファンです。これからも」
「……ありがとう。そして、ありがとう」
 スカイハイは相手に見えていないことを承知の上で優しく微笑んだ。こうして彼を信じてくれている市民がいるということは、本当に有難いことだった。ヒーローとしてのスカイハイが誰か一人にでも必要とされている限り、わたしはヒーローであることができる。それを実感して、スカイハイは内心で少しでも気弱になってしまっていた自分を叱咤した。弱気になってはいけない。ヒーローにしかできない、ヒーローだからこそできることはまだまだ沢山あるのだから。
 そうしてほっと肩から力を抜いて初めて、彼はそれまでの車内の空気が妙に重かったことを自覚した。小さく苦笑して、スカイハイはもう一度力強く頷いた。
「安心してほしい、わたしはこれからもずっと君たちのヒーロー、スカイハイだ」
「はいっ!」
 車のサイドミラーに青年の笑顔が映る。その笑顔を作り出すことができるのは、やはりスカイハイにしかできないことなのだろう。
「……もうすぐシュテルンビルトにつきますよ」
 それまで黙っていた運転手が低く告げる。その言葉を受けて窓の外を見遣ったスカイハイの腕で、ちょうどPDAが鳴り始めた。
『ボンジュール、ヒーロー。緊急事態よ』
 通信をオンにした瞬間、アニエス・ジュベールの声が車内に響き渡る。さっと緊張が過ぎり、スカイハイは映し出されたマップを素早く精査した。シュテルンビルトの市内に幾つもの赤い点が描かれている。それらの点は明滅しながらゆっくりと移動していた。
『複数のキメラが出現してシュテルンビルトを襲っているわ。主にブロンズステージよ。正体は不明だけど、市民に危害を加える前に掃討して』
「キメラ……?」
 聞き慣れない単語に首を傾げる。わからない。キメラ? 事件が発生しているのなら早急に対処しなければならないが、それは誰かの名前なのだろうか。
『あー、何だそのガメラってのは』
 ちょうどいいタイミングでロックバイソンの通信が割り込んできた。おそらく彼もスカイハイ同様、何のことかわからずに首を傾げているのだ。
『キーメーラ! 普通の動物じゃなくて、動物たちが沢山組み合わさった怪物みたいなヤツよ! 見たら一発でわかるから! 今取材班をヘリで向かわせているから、映像が上がったらすぐに連絡するわ。凶暴化していて危険だから、すぐに鎮圧に向かって』
『オバケ退治なら任せて!』
『やっやめてよ、お化けなんかいないんだからねっ!』
 ドラゴンキッドとブルーローズの声が呼応する。彼女たちはすぐにでも出動できそうだ。アニエスの言うキメラ像がいまいち掴めていなかったが、それは実際に見てみればわかることだろう。それしかない。
「了解、そして了解だ」
 スカイハイが頷くのに合わせて、車は排気音と共に加速している。刻一刻と沈んでいく太陽を追うように、滑らかに湾曲する道路を走る。
『警察も出動しているけど、数が多すぎて後手に回っている状態よ。ブルーローズと折紙サイクロンはゴールドステージへ。ドラゴンキッドはファイヤーエンブレムとシルバーステージをお願い。スカイハイ、あなたはそこから一番近いブロンズに向かって。ブロックスブリッジで大きいのが一体暴れているわ。ロックバイソンもブロンズステージへ移動しているけど、合流は出来そうにないから気をつけて。……今映像を転送するわ』
 転送されてきた映像には、確かに見たこともないような生物が映っていた。何かが燃え上がっているのだろう、煙のためにその全貌ははっきりと見えないが、驢馬の顔をした熊のような生き物が手当り次第にあちこちを殴りつけているのが見える。
 これまで想像だにしなかったような、異形の生き物。これが、キメラか。
「わかった。急行する」
 頷いて、スカイハイは通信を終了させた。視線を正面に戻すと、助手席の青年がごくりと喉を鳴らした。
「すまないが、ブロックスブリッジへ」
「わかりました」
 運転手はごく冷静に返答すると、ますます速度を上げながら他の車を次々と追い越していく。逸る気持ちを抑えつけて、誰もが無言になっている。やがて前方に目的地が見えてくると、スカイハイは運転手に指示して車を路肩に寄せさせた。
「君たちは安全を考えて、しばらく市外に退避するように」
「はい」
 車から降り、手早くジェットパックの調子を確認する。出力を始めたジェットパックの熱で大気が揺れる。能力発動の光を纏い、ふわりと空中に浮き上がったスカイハイに向けて、それまで寡黙だった運転手が声を掛けた。
「わたしの息子も、スカイハイのファンなんです。……応援してますよ」
「ありがとう、そしてありがとう!」
 スカイハイが敬礼して見せながら風を巻き上げて急上昇する。ごうっという音と共に視界から消えたスカイハイを追って、運転手と青年が空を見上げた。高度を上げれば、彼らの姿はみるみるうちに小さくなっていく。たちまち点のようになった車と人から視線を外し、スカイハイはその先にあるブロックスブリッジを見据えた。
 どんな相手であろうが、ヒーローとして出来ることがある限り、負ける訳にはいかない。彼は空中で態勢を整えると、そのまま目的地に向けて勢い良く滑空を開始した。


(本編に続く)

(06.17.12発行)


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