しりオリエンテーション
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 僕はポケットから、普段使っているものとは異なるカードキーを一つ取り出すと、周囲に誰もいないことを確認してドアを開けた。実は、このカードキーにも秘密がある。普通の社員は持っていないものなのだ。だから誰にも知られる訳にはいかない。
 ドアを開けたところで、僕は早速人影を見つけた。それが誰かは確認するまでもない。
「やあ、キース」
 声を掛けると、彼はすぐに振り返った。笑顔で僕の名前を呼ぶ。
「ランチタイムかい?」
「そうだよ。君も?」
「わたしは、ちょっと休憩かな。……ここでサボタージュしているのは秘密、そして秘密だ!」
「君こそ、僕がここに居るのは秘密だ」
 そんなふざけた遣り取りをしながら、僕とキースは屋上の片隅に座った。そもそも秘密も何もない。ここへのカードキーをくれたのは彼、キース・グッドマン本人なのだから。
「で、どうしたんだ?」
 僕は弁当をもぐもぐやりながらキースに問い掛けた。質のいい、ぱりっとしたスーツを着込んだ彼は、ジャケットに皺が寄ることにも構わず僕の横に座って空を眺めていた。僕はキースがどんな業務内容を請け負っているのか知らない。どの部署に所属しているのかも。以前軽く問い掛けてみた時に言葉を濁されたので、あまり深く突っ込まないようにしていた。そもそもポセイドンラインは大企業なので、部署もやたらと多い。僕には誰がどの部署に所属しているのかなんて到底把握しきれないのだ。
 ただ、キースはどうやらそこそこ重要な役職に就いているようだった。よくCEOだの他の重役だのの話が出てくるし、実際彼がCEOの役員室に入って行くところを目撃したこともある。まだ若く見えるのに大したものだ。
「実はね、今日はCEOに呼び出されていて……ちょっとへまをやってしまったから、気分が重いんだ」
「珍しいな、君がそんなことを言うなんて」
「そうかな」
 キースが照れたように笑う。何というか、その反応はどこかズレている気がしたが、まあいいだろう。彼はどうも世間を知らないのか時々ズレた発言や反応をする。僕はそんな彼がなかなか気に入っていた。だから、僕は好意のつもりで言ったのだ。
「良ければCEOの役員室までついていこうか」
「えっ、いいのかい」
 途端にぱっとキースの表情が明るくなる。よほど気が進まなかったのだろう。
「僕がついて行っても、入口までしか行けないけど」
「それで構わない、そして構わないよ! 君が一緒に来てくれるなら安心だ」
「じゃあ、そうしよう」
 スカイハイを真似た物言いは、ここではよく耳にするものだ。同じ言葉を二度繰り返すその言い方はどうも癖になる。彼もまた、そうした一人なのだろう。僕は微笑ましい気持ちで頷きを返し、弁当をさっさと片付けた。まだ口をつけたばかりだけど、後で食べればいいだろう。
 ぱん、とスーツの埃を払って立ち上がる。僕に倣ってキースもまたスーツを整えた。彼は以前はスーツに皺や埃をしょっちゅうつけていて、それを何度も注意されていたそうだが、僕が埃を払っているのに倣うようにしたら怒られなくなったよ、と笑顔で報告されたことがある。役職としては僕よりだいぶ上にいるのだろうが、僕としてはほとんど後輩が出来たような気持ちでいる。実際、彼には何となくだが信頼されているように思えている。そしてそれは、それほど悪くない気分だった。
 ドアを開けて、カードキーで施錠する。ポケットにキーをしっかり収納して、僕とキースは役員室を目指して長い廊下を進んだ。
 ふと横を見ると、キースの表情はちょっと思い詰めたように硬い。そういえばこいつはスカイハイに関わる仕事をしているのではないだろうか。そんな考えが頭を掠めた。何故って、彼が屋上に来るのは大概何かしら落ち込んでいる時で、そしてそんな時はほとんどスカイハイがちょっとしたミスや失敗をした時だったから。そこのところの関係が薄っすらと見えてきた気がして、僕は内心で合点していた。それならCEOに呼び出しを食らうのもわかる。ここのところスカイハイは調子が出ないのかずっと落ち目だったし、昨夜などは壁に突っ込んでしまっていたのだから。
 僕はぽんぽんとキースの肩を叩いてやった。まだデビューしたてのヒーローのお守りなんて大変だろう、そんな気持ちを込めて。
「何をやったか知らないが、あんまり考えすぎるなよ」
 ただの気休めだというのに、キースははっとした様子で僕を見ると、ふにゃりと眉を下げて微笑んだ。
「ありがとう、そしてありがとう」
 続く言葉を失って、僕は照れたように曖昧に笑い返した。
 キースの笑顔が、僕は気に入っている。それも、すごく。何というか、全部丸ごと受け入れられたような気持ちにさせられるんだよな。持ち前の度量の広さがそうさせているんだろう。ほんと、いい奴だよ。あいつとは大違いだ。
 そう思って、僕は悪友のことを思い出した。さすがはコネを駆使して女の子の妊娠を握り潰させたりするだけのことはあって、あいつはなかなかいい性格をしていた。しかも、自分に少しでも有利なネタがあれば徹底的に食らいついて話さない。そこのところの根性と、ちゃらんぽらんに女遊びをするような性格があいまって、なんともアクの強い奴ではある。
 そういえば、あいつはキースに何かコネの匂いがしないかずっと気にしていたようだった。それも無理はないだろう。だけど、僕なんかから見ると、どうも見当外れにしか思えないんだよな……キースが持っているのは、コネとはまたちょっと違う何かである気がする。それが何なのかは、僕も知らないけど。


(本編に続く)

(05.04.12発行)


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