の航路
sample





 キース・グッドマンには日課がある。スカイハイのヒーロースーツを身に纏い、毎晩シュテルンビルトの空を飛んでパトロールをすることだ。ヒーローになってからすぐに始めたこのパトロールを、彼はどんな時も欠かしたことがない。雪の降りしきる夜も、月光かがやく夜も、キースは優美な軌跡を描いて滑空し、愛する街を高く夜空から見守り続けてきた。
 風を操るNEXTであるキースも、18歳の夏にその能力を手に入れるまではごくごく一般的な人間だった。幼い頃には子供たちなら誰しも一度は経験するように、空を自由に飛び回ることや、飛行機に乗って雲の向こうへ飛び立っていくこと、そしてヒーローに憧れた。青い青い空には果てがないと知ってはいても、永遠の先にある空の果てを目指して飛んでみたいと何度思ったことだろう。
 ある日突然顕現した能力によってまさにその力を与えられたキースは、ヒーローとして、子供だった頃に夢見た通りにシュテルンビルトの空高くを舞っている。
 地上から見るとあれほどまでにシンプルだった空は、実際に自分自身が飛行してみると一筋縄ではいかなかった。気温や湿度、時間帯によって刻々と変化していく気流を味方につけるまで、キースは随分と苦労したものだった。静かな表情のまま荒れ狂う風を治め、白い裾をたなびかせながら、スカイハイは夜毎に星々を背負い、街のひかりを見下ろしている。何も知らなかった時分と全く変わらない、純粋に誰かの助けになりたいという気持ちを胸に抱いて。
 キースのように空を飛べるほどの強い能力を持ったNEXTは多くはなかった。少なくとも、キースは彼自身以外には飛行能力を持つNEXTを知らない。
 だから空はキースの場所だった。そこで彼は風という仲間に囲まれて、完全にひとりきりになることができる。寂しさはない。キースは大空を自由に闊歩しているとき、全く純粋に自分自身でいることができると感じていた。そこには悩みも苦しみもない。ただ無限の可能性と自由があった。
 今夜もキースは眼下にシュテルンビルトの眩しいほどの明かりを見ながら、夜空を滑るように飛行している。明るい街の灯が照らし出す闇は尚更深く、そういったところにこそ目を配っていく。スカイハイはそうやって何度も小さな事件を解決してきた。誰からも注目されない、ポイントにもならないような行為でも、それはキースに明日への活力を与えてくれた。犯罪がある限り、ヒーローとして人の役に立てる限り、スカイハイには存在する意義がある。
 この夜スカイハイは街灯の少ない夜道でのひったくり犯人を捕らえて司法に引き渡した。小さいけれども立派な成果だった。犯人を拘束した警察官に小さく敬礼をし、スカイハイは長い裾を翻して再び夜空に舞い上がった。パトロールを終えて帰路につく。巨大な円を描く街並みに沿って聳える像を数えながら、ポセイドンライン本社の方向へと。
 幾つかの像を数えたスカイハイは、途中でなめらかに航路を変えるともうひとつの目的地へ向かって身体を傾けた。ジェットパックの出力と風を操って速度と高度を落とし、目指す建物を視界に入れる。
 ヘリオスエナジーの本社ビル最上階の一室には、今夜も煌々とした明かりが灯っていた。
 全面にとられた大きな窓は、その周囲の部屋がすべて消灯されていることもあって、遠目からでもはっきり認識することができる。徐々に接近していくスカイハイはますます速度を抑え、そしてその窓の前で止まった。
 あまり相手のプライバシーを侵害しないように、充分に距離をとった空中で静止する。吹き抜けていく風が肩当ての飾りを揺らした。
 辛うじて視認できるところに人影が見える。キースはその人影をネイサン・シーモアその人だと認識している。
 ネイサンはヒーロー仲間たちの中でも特に精神的に落ち着いていて、いつでも寛容に接し支えてくれる。時々アントニオにはセクシャルハラスメントめいた悪戯を仕掛けているが、それも冗談の範囲を逸脱することがない。キースが見ているだけでも、女性陣からの些細な相談を受けたり、虎徹からも信頼されていたりと、誰からも好かれ頼られているのがわかる。
 彼、もしくは彼女は、自分自身がヒーローである以前にヘリオスエナジーの社長でもある。日々の仕事をこなし、シュテルンビルトの街を守り、その上で更にヒーロー仲間のカウンセラにも近いような役割までこなす。そんなネイサンの姿を見ているうちに、果たしてネイサンはいつ自分自身のために何かをしてやるような時間をとっているのだろうかと気になるようになっていた。毎日あらゆる事柄に追われて、ネイサンのプライベートはどこに消えているのだろう。
 キース自身はまだいい方だ。ヒーロー稼業以外にキースを煩わせるものはなく、自主的に行っているパトロールは市民のためもあるが、半ばは自分自身の満足のためでもある。
 そう考え出すとネイサンのことが気になるようになり、キースはいつしかパトロールの巡回ルートのどこかにヘリオスエナジー本社を組み込むようになっていた。
 窓から垣間見える人影は、広々としたデスクに向かって相変わらず仕事をこなしているようだった。日付も変わろうかという時間、もう秘書も帰ってしまっているだろう。
 キースはしばらくそうやってネイサンを見守っていたが、やがてそっと背中を向けると、緩やかに加速して自社ビルへと飛び去っていった。最後に一度だけ遠目から振り返って。

(本編に続く)

(10.10.11発行)


戻る