恋は思案の


 すまないワイルド君、助けてくれないか。キースからそんな連絡を受けたのは日付も変わってしばらくした頃だった。
 キースから呼び出されるのも珍らしければ、常識外れの時間帯も珍らしい。虎徹は首を傾げながらも、一応は言われた通りに指定された場所に向かった。そもそも何故自分が呼ばれたのかがわからなかったが、送られてきた住所データに従って目的地に近付いたところでキースの人選ミスを恨むことになった。住所からは少しわかりづらかったのだが、実際たどり着いてみると、そこはいわゆるその道の人々が集まる店だった。
 まさかと思って念のために何度も店名を確認してみるが、キースから送られてきた情報に間違いはないようだった。覚悟を決めて入っていくと、やたら男の姿ばかりが目につく。早速舐めるような値踏みするような視線を次々と向けられ、虎徹は入ってから三秒でこの店に辟易する羽目になった。つまり、ここは同性愛者が主な利用客であるばかりか、特に付き合う相手を探すのに使うような店なのだった。
 なんだってこんなところに。思いながら店内を見渡した虎徹は、カウンタ席に見慣れた金髪と白いTシャツの背中を見つけ、そちらに向かって歩を進めた。
 キースはいつものフライトジャケットを脱いでいて、そのせいで日々のトレーニングで鍛えられた身体つきが遠目からでもTシャツの生地ごしに顕わになっていた。何もこんなところで体格を晒す必要はないだろうと呆れてしまう。いくらキースが天然だとはいっても、あれではどうぞ食ってくれと喧伝しているようなものだ。案の定、キースは隣に座った男に馴れ馴れしく話しかけられている。あれをどうしろと。
 ネイサンの方うがよほど適任だったろうにと嘆息しつつ、やっとカウンタ席までたどり着いた虎徹は、無遠慮な手つきでキースの肩を掴んだ。
「おい、キース」
「虎徹君!」
 振り返りざま、ぱっと顔を輝かせるキースに対して、虎徹は仏頂面がますますひどくなるのを隠しもしない。深夜にこんなところに呼び出されて、実際いい迷惑である。
「何やってんだ、こんなところで」
 虎徹としては馬鹿なことをしているキースを叱り付けたつもりだったが、彼はますます楽しそうに笑うと、「虎徹君を待っていたんだよ!」と悪びれた風もなく言い放った。頭が痛くなりそうになってこめかみをおさえる。
 どうやらキースは珍しくアルコールを飲んでいたようで、頬がすっかり上気していた。赤く染まった目許を細める姿はなかなか見られないものだし、たまには羽目を外すのも悪くはないと思うのだが、如何せんここは場所が悪い。何しろその手の男たちの溜まり場だ。いつ何があってもおかしくはない。間違いは起こってからでは遅いのだ。
「あーそうかそうか。いいから立て。帰るぞ」
 言いながら虎徹は、キースの隣に陣取っていた男をちらりと見遣った。虎徹の出現に少し腰が引けているようではあったが、二人の間に色めいた関係がないことを察しつつあるのだろう。逆に窺うように観察される。
 このままでは面倒なことになりそうだし、そうなる前にさっさと退散してしまうに限る。虎徹は改めてキースの腕を掴みなおすと、促すように引いた。キースが無言のまま少し不満げな表情になる。
 助けろと人を呼び出しておいてその態度は何なんだと言ってやりたかったが、場所柄それはおさえておく。後でこってり絞ってやろうと決意して、もう一度彼の名前を呼んだ。
「……キース」
 これでも言うことを聞かなかったら後でただじゃおかないからな。言外に匂わせながら呼ぶと、キースはさきほどまで不服そうだった表情を何故かあっさり翻して立ち上がった。
「すまないがわたしは帰るよ」
 隣の、誰だかわからない男にまで断りを入れるのはさすが相変わらずだった。キースはするりとスツールから降り立つと、虎徹との距離を妙に詰めて微笑んだ。いつもの穏やかな微笑みも、赤みを帯びた表情でやられると何故だか別のニュアンスを含んでいるように見える。薄暗くライトアップされた店内の照明のせいだろうか。
 キースは横に置いていたフライトジャケットをなめらかな動きで着込み、じっと虎徹を見詰めた。ごくさりげなくキースの手が虎徹の胸に触れる。虎徹よりほんの少し身長の低いキースだが、距離を縮めた状態だとその差がより強調される。やや見上げるようにしてくる青い双眸がアルコールのためにわずかに潤んでいた。
「……行こうか。……虎徹」
 やられた、と思った。こいつは一体どこでこんなことを覚えてきたんだ。頭のなかでわめきながら、虎徹は無言で頷いた。途端ににっこりと笑うキースが憎たらしい。虎徹は知らず天をあおぎ、それから思い出したように周囲を確認した。
 それまでしぶとく居座っていた男は匙を投げたのか姿を消しており、飲んでいたグラスごと跡形もなかった。視線のすぐ先にいたバーテンが淡く微笑んだが、その表情に同情が含まれていることに、残念ながら虎徹は気付いてしまった。まったく忌ま忌ましい。
 カウンタに代金とチップを残し、先ほどとは打って変わって積極的になったキースに腕を引かれるようにして二人は店を出た。虎徹としては不満だらけだが、こういう場は用がないのならさっさと離れるに限る。
 店の外でやっと夜の空気を吸い込んだ虎徹は、深い深いため息をついた。じろりとキースを睨みつける。この疲労感の元凶は全て目の前のこの青年によるものなのだ。
「ったく……何だよさっきの、」
 あの妙な雰囲気は。言いかけた言葉を飲み込む。何故かはわからないが、それを指摘してはいけないような気がしてならない。虎徹は不自然でない程度にほかの言葉を選んだ。
「……いつから俺のこと呼び捨てにするようになったんだよ」
「うん、呼んでみたかったんだ」
「何だそりゃ」
 あっさりと返されて虎徹は安堵した。呆れたポーズで肩を竦め、夜道を歩き出す。深夜とは言え、シュテルンビルトの繁華街は幾千もの明りに照らされて眠ることを忘れているかのようだ。それでもさすがに昼間に比べて人気は少なく、二人は並んで歩きながら大通りを目指す。
「で、何だってあんな店に行ったんだ」
 何の気もなく聞いた虎徹に、キースもごく自然に頷いた。
「わたしは男性が好きなのかなと思ったんだ」
「ああ男が……はああ?!」
 ぎょっとして隣のキースを見る。思わず立ち止まった虎徹に合わせて足を止め、キースは笑顔のまま小さく首を傾げた。
「でもわたしは別にゲイというわけではなさそうだよ。他の男性にはどうも興味がわかなくてね」
 こいつは一体何を言っているんだ。全く普段通りの口調で告げられる話が突飛すぎる。
 あまりの内容に言葉を失った虎徹の様子がおかしかったのか、キースは子供のように笑い出すと、ぽんぽんと虎徹の肩を叩いた。幸せそうにさえ見える笑みを、覗き込むようにして虎徹に向ける。 「大丈夫だ、そして安心してくれ!  わたしが好きなのは、君だけのようだから」
 さあ帰ろう、今日は助けにきてくれたんだから送っていってくれるだろう?  ワイルド君はわたしのヒーローだね!
 そう言ってさっさと歩き出したキースの後ろ姿があまりにも楽しそうだったので、虎徹はハンチングごしに頭をかくと、深く考えることを放棄し、キースに続いて再び歩きはじめた。
 もうどうとでもなれ。
 結局のところ、虎徹はこの無邪気な青年にはかないそうもなかった。


(09.30.11)


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