前菜をあなた


 虎徹を食べてしまいたいと思いはじめたのはいつからだっただろうか。愛情を表現する比喩ではなく実際に、虎徹の身体を切り刻んでその血を啜り肉を一切れずつ食べていって最終的には物理的に一つになってしまいたい。そんな願望を抱くようになってから、キースは一度もそれが異常だとは感じていなかった。虎徹への想いを自覚し、まずは触れるところから、そのうち躊躇いながらも唇を合わせるようになり、スキンシップが多くなり、いつしか性的な意味を持って触れ合うようになるまで、キースと虎徹は途方もない時間をかけてきた。初めて虎徹と肌を合わせたとき、キースは身体的な苦痛からではなくさめざめと涙をこぼした。ああ、こうやって人間と人間はひとつになるのか。そう思ったものだった。幸せに泣くキースを見て、虎徹は何かまずいことをしてしまっただろうかと大変に慌てていたのが思い出される。誤解だと説明してお互いにほっとして笑いあったあとの抱擁のあたたかさをキースは一生忘れることができないだろう。だが、ひとの欲望には限りなどがあるはずがない。くちづけのその先を欲するように、いつしかキースは虎徹とは一分一秒たりとも離れたくないと考えるようになっていた。限りある時間、せわしない逢瀬。触れ合った指先が、絡んだ視線がキース以外のなにかに奪い去られていく。それがつらく苦しく、そして二人で時間を積み重ねることに苦しみはただ増すばかりだった。
 完璧にひとつになってしまえばいいのではないか、二人が二度と分かたれないようにできればいい。そう考えたのは、キースとしてはごく自然なことだったから、まず、キースは自分自身を磨くところから始めた。完全にひとつになってしまいたいなら、どちらか一方が相手を食べてしまえばいい。そうすれば片方が相手の血となり肉となることができる。そんなごくシンプルな解決策を実行しようと考えたが、しかし虎徹をそのために苦しませることはキースの本意ではなかった。虎徹が自分を食べてくれればいい。キースはひたすらそれを夢見て自らを磨いた。いつ、どんな時に虎徹がキースを食べたくなってもいいように。だが、幾ら期待しても、また、キースが努力しても、虎徹はキースの願いには気付かないようだった。長い間キースはひっそりと待ち続け、そしてある日気が付いた。虎徹はキースを美化しすぎているふしがある。以前キースがあれほど虎徹とひとつになることを望んでいたにも関わらず、虎徹はそんなキースの思いをなかなか信じようとしなかった。だってお前は綺麗だろ、そう虎徹は言っていた。綺麗っていうか、あー、なんか上手く言えねえんだけど、セックスとかそういう生々しいこととか欲望みたいなのとは縁がなさそうに思っちまうんだよな。だからそんなこと考えるとは思わなかったんだよ。言ってわらった虎徹の表情を思い出す。そんな調子だったから、今でも虎徹はキースには常に優しく触れる。どんなに疲れていても、うまくいかないことがあって苛立っていても、彼はキースにそれをぶつけたりはしないのだった。そう考えてみると、虎徹が自発的にキースを傷付けてまでしてキースを食べてくれるとは考えづらかった。
 ああ、わたしは何を勘違いしていたのだろう。キースは晴れやかにわらった。虎徹君はあんなに優しいのに。優しすぎて、幾らキースが望んでいてもその願いをかなえることができないのだ。キースは納得して、それで自分も考え方を変えることにした。彼ができないなら自分がやればいい。自分が虎徹を食べてしまえばいいのだ。
 二人がひとつになれる。それはなんて幸せなことなのだろう。

「お前最近料理上手くなったな!」
 虎徹が感心したように言うのにキースは頷く。
「ありがとう。実は最近練習しているんだ」
「最近肉料理ばっかりだけどな」
 まあ好きだからいいけど。言いながらナイフを使う虎徹が、また一切れ肉を口に運ぶ。つ、と滴る肉汁が銀のフォークをわずかに伝って、キースはそれをうっとりと眺める。
「うん、そうなんだ」
 美味い、と咀嚼しながら頷く虎徹の様子をじっと見つめ、キースは幸福に微笑んだ。
「お肉は美味しく食べたいからね」


(07.19.11)


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