英雄の済、あるいはその断章
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 性行為というものはどうしてああも生々しいのだろう。
 体液を垂れ流しながら、呼吸を引き攣らせながら、交わる。地に引き倒され、もがく体を押さえつけられて、律動に揺さぶられる。粘膜同士をぐちゃぐちゃと擦り合わせる、あの行為。自分が動物であることをどうしようもなく思い知らされる。
 犯されていたのは、キース・グッドマンなのか、スカイハイなのか。自分自身が乖離しては溶け合う、それを全て力ずくで捻じ伏せられた。
 キースが、あるいはスカイハイがレイプされたのは数ヶ月ほど前のことだった。犯罪者ジェイク・マルチネスの提案した、ヒーローとの一対一の戦闘。彼によればセブンマッチという名の戦いで、スカイハイはなす術もなく地に叩き落とされた。
 ジェイクがその圧倒的な能力で撃ち落としたのは、スカイハイ自身の肉体だけではない。市民が寄せるキングオブヒーローへの信頼と、そしてキースの人間としての尊厳もまた、墜落させられた。
 セブンマッチがアニエス・ジュベールの提案によって小休止を挟むことになった時、スカイハイはステージとなったスタジアムの片隅で半ば意識を失っていた。
 スカイハイの持つ能力が戦闘には向いていないことを、彼自身は熟知していた。風を起こしそれを操る能力は決して戦闘に特化したものではなく、特に物理的に肉体を駆使した戦いには弱い。接近戦において威力を発揮することの出来ない能力を持つスカイハイは、それを知っているからこそ、常に犯罪者との戦いにおいて先手必勝を決めていた。敵の攻撃が届かない程度、そして自分が攻撃を行える程度の距離を保ち、機敏に動くことをもって攻防を兼ねる。攻撃を受けないという前提こそを最大の防御とする。そうした能力の特性を完全に活用するために、足枷になりかねない頑丈な装甲という選択肢はスカイハイにはなかったのだった。
 だが、これまでは通用していたその前提条件が打ち砕かれ、物理的な攻撃を容赦なく叩き込まれた時、スカイハイは風の翼を失って無残に墜落することになった。
 ジェイクの足音がゆっくりと近づいてきたとき、呼吸すら苦痛になるほどのダメージを与えられたスカイハイは、青褪めた顔をマスクの下に隠したまま細く喘鳴していた。
 瓦礫を踏みしだく足音。
 霞む視界に影がさし、男がわらう。
 ジェイク・マルチネスが。
『……よう、キング。そろそろお目覚めか?』


「……っ!」
 ひゅうひゅうと激しく息を切らしながらキースはベッドから跳ね起きた。
 血の気が引いているのか、耳鳴りがする。金属のあげる悲鳴に限りなく近いようなそれを除いて、絞るような呼吸音だけが薄暗い室内に響く。波打つ胸を抑え、何度か深く呼吸をを繰り返しながらゆっくりと周囲を見渡した。
 見慣れた寝室は静かで、カーテンの隙間からほそく月光が差し込んで天井を這っている。サイドテーブルに置かれた時計を確認すると、まだ夜明けまではだいぶ時間があった。そこまで確認を行って初めてようやく現実に立ち返り、キースは細く長く息を吐いた。
(笑え)
 また、あの夢だ。
(笑え)
 滴る冷たい汗を手のひらで拭う。あの夜のことを、もう何度夢に見ただろうか。ほんの数時間の、あるいはたった一夜の、あの悪夢のような現実を。
 気持ちを落ち着けようと、汗にべたつく手でキースは顔を覆った。呼吸と鼓動に意識を集中させる。
 もうあんなことはない。彼は死んだ。ジェイクは、死んだんだ。今までに何度もそうしてきたように、キースはひたすら自分自身にそう言い聞かせた。
 ジェイクはもう死んだ。死んでいる。だから、彼がまた現れるわけがない……。
(笑え。笑えよ、キング)
 キース自身の呼吸音だけが繰り返し暗闇の中に響く。
 独りきりの寝室は暗く、身を守るように体を丸めた背中がじっとりと湿っていた。

(本編に続く)

(10.23.11発行)


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