水面に映る スカイハイのナイトパトロール


 僕はスカイハイが嫌いだ。スカイハイっていうのはテレビジョンに出てくるヒーローで、びゅーんと空を飛んで、風を出して敵をやっつけることができる奴だ。ヒーローはわるいやつをやっつける人なんだって先生が言ってた。わるいやつっていうのは、たとえば僕の隣の席にすわってていつもクラス中に僕に消しゴムをぶつけてくるやつとか、あとは僕がもうお母さんに会えなくなるって決めたサイバンカンってやつがそうだと思うんだけど、スカイハイは僕がいつまで待ってもわるいやつをやっつけてくれない。僕の隣の席のあいつなんか、しょっちゅう僕のふりをして「ママ、ママに会いたいよう」って言ってからかってくるんだけど、本当は僕だってお母さんに会いたいのに、あんまり言うものだから「会いたいわけないだろ!」って言わされてしまった。僕がお母さんに会えないのは、サイバンカンのせいもあるけど、もしかしたら僕が会いたくないって言ったのをサイバンカンが聞いてたからじゃないかなって思ったら悲しくて涙がでた。だけど、僕が泣いててもスカイハイはやっぱり助けになんかきてくれなかった。
 スカイハイはテレビジョンの中にだけいて、ほんとうはいないんじゃないかなって僕が思ったのは、去年のクリスマスの時だ。僕はサンタさんをずっと待っていた。ずっとずっと待ってた。サンタクロースにあげるためのミルクとクッキーも用意したし、寝ているふりをして布団に入ってずっと待ってたけど、サンタさんは結局来なかった。翌朝ようやくお仕事から帰ってきたお父さんが、サンタさんからだよって言ってプレゼントをくれたけど、プレゼントだけ貰っても意味がないんだ。僕はクリスマスにサンタさんにお母さんを連れてきてくれるようにお願いしてたのに。サンタさんからもらったスカイハイのおもちゃはすごくすごくかっこよくて、ちょっとだけ嬉しかったんだけど、僕はお母さんが戻ってきてくれるならスカイハイのおもちゃなんか一生貰えなくてもよかったんだ。
 僕のお父さんとお母さんはリコンをしたんだって。お母さんはお父さんじゃない男の人と出て行っちゃって、それでサイバンカンはお母さんには僕のお母さんになる資格がないから、ずっとお父さんと一緒に暮らしなさいって僕に言ったんだ。資格がないってどういうことだろう。お母さんは僕を生んだからお母さんなんでしょ、ってお父さんに聞いたら。お父さんは新聞を読みながらそうだねって言った。じゃあお母さんは僕を生んでないことになっちゃったのかな。僕がそう言ったら、お父さんはなにも言わないでカイシャにいっちゃった。僕はひとりぼっちで、ずっとわからないままで、すごく悲しくてそれをスカイハイのおもちゃに言った。スカイハイのおもちゃをぎゅっと抱きしめたら、そいつは「スカーイハーイ!」っていつもみたいにかっこよく言ってくれたけど、やっぱり僕はさびしかった。
 お母さんはもう帰ってこないんだろうなって僕が思い始めたのは、今年のクリスマスがそろそろ近づいてきた頃だった。あんなに好きだったのに、僕はちょっとお母さんのことを思い出せなくなっていた。お父さんはお母さんの写真を全部捨てちゃってたから、もうどんな顔だったのかたしかめられないんだ。お母さんの顔も思い出せないんだったら、お母さんが帰ってきてくれるはずなんかないよね。それで僕はやっと諦めることに決めた。だから僕には今、お父さんしかいない。
 お父さんは毎日すごくすごく忙しい。朝はものすごくはやくカイシャにいって、帰ってくるのは僕が寝たあとだったりするから、何日もお父さんの顔を見ないときもある。僕にはお父さんしかいないから、僕は今年のクリスマスのお願いを、お父さんと一緒にクリスマスディナーを食べて、一緒にヒーローTVを見ること、っていうのに決めた。サンタさんお願いだからクリスマスには僕のお願いを叶えて。僕は毎日寝る前にサンタさんにお祈りした。お願い。お願い。僕、いい子にしてるから。お願い。
 サンタさんがいないっていうことを知ったのは、ついさっきだ。隣の席のいやなやつが、こいつサンタクロース信じてるんだって! って言うから僕はおどろいた。サンタさんはいるに決まってるじゃないか。スカイハイだっているよ、サンタさんだっているよ。ふたりともテレビジョンに出てくるし、スカイハイなんかわるいやつを捕まえてくれるじゃないか。僕がそう言ったら、あいつは僕に、サンタさんは本当はいなくて、お父さんとかがサンタさんのふりをしてるだけなんだって言った。サンタクロースなんか見たことあるのかよって言われて、僕はなにもへんじできなかった。僕、サンタさんを見たことない。だけどサンタさんがいないなんて! 悲しくて泣いていたら先生がやってきて背中をなでてくれたけど、先生にきいてみたら、先生までサンタさんはいないって言った。サンタさんはいないんだ。先生が言うならそうなんだ。僕はもっと泣いたけど、先生は僕が泣きやんでも冗談よとは言ってくれなかった。
 僕はサンタさんを見たことがなかった。サンタさんはテレビジョンの中にしかいないんだ。そう思ったら、じゃあスカイハイもそうなんじゃないかなって気がついたんだ。誰かにそれを言うのはすごくこわくて、ほんとにいないよって言われたらいやで、ずっと黙っていたけど、僕はスカイハイを見たことがない。サンタさんは僕がほんとうにほしいプレゼントをくれないし、スカイハイはわるいやつをやっつけてくれない。ひどい、ひどい。僕はスカイハイが嫌いになった。スカイハイなんかいなくたって一緒だ。僕は今年もひとりぼっちでクリスマスをするんだ。
 僕はひとりで公園にいってひとりで泣いた。公園はとっても広くて、みんなはたいてい原っぱで遊んでるんだけど、僕はそのずっと先のベンチにいつも行っていた。そこには誰も来ないから、僕がひとりで泣いててもだーれも知らないんだ。そこならいやなやつもいないし、僕のことをからかったりもしない。いつもはこっそり泣いてたんだけど、泣いてるうちにどんどん悲しくなってきて、僕は世界中でたったひとりぼっちな気持ちになって、わんわん声をあげて泣いた。かなしい。かなしいよ。僕はさびしいよ。
 急に目の前に犬が出てきて、クーンと声をあげたから、僕は泣いていたのにびっくりして飛び上がった。あわてて目をこすってると、青いジャケットを着た男のひとが犬をひっぱっていた。
「すまない、驚かせてしまったかな」
 男のひとは金髪で青い色の目をしていた。金髪なのはお父さんも一緒なんだけど、お父さんの目は緑色だ。だけどなんとなく優しそうな困ったみたいな笑顔がちょっと似てて、僕はぽかんとして男のひとを見てしまった。おどろいたせいで涙はとまったけど、さっきまで濡れてたほっぺたが乾いてちょっとかゆい。ほっぺたをこすっていると、男のひとはハンカチを貸してくれた。
「なにか悲しいことでもあったのかな」
 男のひとが僕の前にしゃがみ込んでじっと見つめてくる。おとなのひとが僕の前にしゃがんでくれることなんかないから、僕はまたちょっとびっくりした。だけど、しゃがんでもらえるとちょうど男のひとの目がのぞきこめるみたいで、僕はつい、うんってこたえてしまった。
「もしよかったらわたしに聞かせてくれないかい?」
 男のひとにそう言われたけど、僕は言いたくなかった。お父さんにも、先生にも、いままでずーっと誰にも言わなかったんだ。この男のひとなんかはじめて会ったのに言えるわけがない。黙って首をふると、男のひとはちょっと首をかしげて僕をじっと見た。目がすごくすごく青い。
「わたしにはきみの悲しい気持ちを全部なくすことはできないけれど、ほんのちょっとだけ悲しい気持ちを持っていってあげるよ」
 そんなことができるのかわからなくて、僕は黙って男のひとを見た。おとなのひとは、嘘をついてるとき、あんまり僕の目を見てくれないんだ。だから僕には嘘なのかどうかわかるよ。
「……ほんとに?」
「どれくらい持っていけるかはわからないけれど、努力するよ。それは約束できる」
 男のひとは僕をじっと見たままそう言ってちょっとわらった。だから僕は男のひとをしんじることにした。僕は男のひとに、僕にはもうお母さんがいないこと、お父さんはカイシャに行ってるからぜんぜんいっしょにいられないこと、サンタさんがいないって聞いたことを話した。サンタさんはいない、だからお父さんは僕とはクリスマスを一緒においわいしてくれないんだ。それから、僕は最後に、とうとうスカイハイの話をした。僕はスカイハイを一回もみたことがないから、スカイハイはいないかもしれないんだ。ほんとはスカイハイのことは大好きだったんだ、絵本ももってるしおもちゃももってる、ヒーローTVはいつもみてたんだ。だけどスカイハイは僕のことをたすけてくれなかった。だから僕はスカイハイのことを嫌いになることにしたんだ。男のひとに話しながら、僕はまた泣いてしまった。とっても悲しかったけど、さっきよりはさびしくなかった。男のひとがずっと僕の目をみて話をきいてくれたからだ。
 男のひとはだまって僕の話をきいてくれたあと、にっこりわらって言った。
「君はつよいんだね。すごく、つよい」
「……つよくないよ」
「じゃあどうして君はお父さんにさびしいって言わないんだい?」
「だって、だって……」
 お父さんがこまっちゃうからだ。お父さんはお母さんの分もいっぱいいっぱいやらなくちゃいけないことがあるんだ。お父さんは毎日僕のために朝ごはんと晩ごはんを用意してからカイシャに行く。おせんたくもお父さんがやってくれる。おさらもお父さんがあとで僕が寝てる間に洗ってくれる。お父さんは一日中シゴトしてるんだ。だからお父さんはおやすみの日にはずーっと寝てる。すごくすごくつかれてるんだ。お父さんはなにも言わないけど、僕はしってる。つかれてるから寝るんだ。だから僕はお父さんにさびしいって言えない。言わないんだ。
 僕がそう言うと、男のひとはやっぱりつよいじゃないかって僕をほめてくれた。君はさびしいのに、お父さんのことを考えてあげてるんだ。すごくつよいよ。そう言われて、ぼくはほんとにすっごくつよくなったような気がして、涙をふいてちょっとわらった。僕だってつよくなれるんだね。
「じゃあ、君のひみつを教えてくれたかわりに、わたしのひみつも教えてあげよう」
 男のひとはいたずらっぽくわらって、こっそり僕にひみつを教えてくれた。


 クリスマスの夜、お父さんは電話をしてきて、こんやは帰れないって言った。お父さんはいつもいそがしそうにしてて、カイシャにいるときに電話をしてきたことなんかなかったから、それだけで僕はうれしかった。やっぱり一緒にクリスマスディナーを食べられないのはさびしかったけど、でもいいんだ。お父さんに僕はだいじょうぶだよって教えてあげた。僕はいい子にしてるから、お父さんはしんぱいしないでね。
 それから僕はいつもは寝るときに閉めてるカーテンをぜーんぶあけた。いろんなビルの明かりがきらきらしててきれいだ。椅子をひっぱってきて毛布もひっぱってきて、僕はそこで毛布にくるまって空を見た。あの男のひとが教えてくれたんだ。クリスマスの夜に空を見てたらぜったいスカイハイを見つけられるよって。スカイハイはいるんだよって。
 ずっと待っていたら、空でなにかがきらっとひかった。あわてて見てみたら、ほんとにスカイハイが飛んでいた。スカイハイはいたんだ! ほんとうにいるんだ!
 僕は窓をあけてスカイハイを呼ぼうと思ったけど、やっぱりやめておいた。僕はとってもつよいから、だいじょうぶ。スカイハイはみんなのヒーローだから、ほんとうにスカイハイにたすけてもらわないといけない人のところに飛んでいくんだ。
 ひとりぼっちでスカイハイが飛んでる夜空はすごくすごくきれいだった。僕もひとりぼっちでスカイハイをずっとずっと見ていた。ひとりぼっちでも、もうさびしくなんかなかった。夜空をさがしたら、いつでもスカイハイがいるから。


(08.11.11)


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