水面に映る スカイハイの一日車掌


 ポセイドンラインの新線開通記念にスカイハイが一日車掌をやると言うので、僕は久しぶりに家を出て彼を見にやってきた。
 まずはCEO達と並んでスカイハイがテープカットをする。あまりの人混みに僕からはスカイハイは爪楊枝よりも小さく見えていたが、それでも周囲のスクリーンにアップで映しだされた姿も見えるので、ファンの僕としては大満足だ。いつかスカイハイの実物に触ってみたいと思っていたが、よほど事件にでも巻き込まれでもしない限り無理だろうと思っていた。それが、今日はなんとスカイハイと握手までできると言う。そのためだけに僕は郊外からはるばる首都を目指してやってきたのだった。
 テープカットをするスカイハイは遠目にも楽しそうで、いつも画面越しに緊迫感溢れる姿ばかり見ていた僕にはとても新鮮だった。スカイハイを交えての式典はすぐに終わり、スカイハイが実際に乗車口に立ったモノレールには、いつから徹夜していたんだか定かではない筋金入りのファン達が乗り込んでいく。僕の番が回ってくるのはいつになるだろう。スカイハイが順番に客たちと握手していく姿がスクリーンに映し出される。定員を乗せると、スカイハイは乗客たちに敬礼をしてモノレールの発車を見送っていく。一両、また一両とモノレールはスカイハイと握手を済ませたファンたちを乗せて行く。ああ早く僕の番が来たらいいのに。何度もスクリーンと遠くに見えるスカイハイの姿を見比べているうちに長い長い待機列は徐々に消化され、ようやく僕の番になった。
 ずっとずっと僕はスカイハイのファンだった。彼がデビューした時から、彼のあのきびきびした仕草や、時折垣間見えていた天然ぶりにはまって、ずっと応援してきた。たいして画面に映らなかった時期も、ポイントが全然稼げていなかった時期も、やがて彼が徐々に頭角を現して有名になってきた時も、僕は彼だけを応援していた。彼がキングオブヒーローになってからのファンとは違うのだ。僕は例えスカイハイがいつかKOHの座を退くことになったってずっと彼のファンでいる自信がある。自慢になるものなんて全然ないけど、それだけは胸を張って言える。
 だけど、実際に本人を前にした僕は何も言えなかった。初めて至近距離で見たスカイハイに胸がいっぱいになってしまって、当たり前のことしか思い付かなかったのだ。きっと今日スカイハイを見たファンたちが何百回も言ったようなせりふしか浮かんでこなくて、でも何かスカイハイの心に残るような言葉を伝えたい。市民のなかのひとり、今日一日で握手したたくさんの人たちのひとりに紛れて彼の記憶に残らないのは、勝手だと言われようと僕には寂しくてたまらないからだった。そんな僕を見て、スカイハイは多分仮面の向こうで微笑んでくれた。顔は見えるはずがないけど、あの首の傾げかたはきっとそうだ。今までずっと彼を見続けてきた僕の勘はそう告げていた。
 もういいや。スカイハイに覚えてもらえなくたっていい。僕は見返りなんかもらえなくたって、ずっとずっとスカイハイのことが好きだ。それだけだ。スカイハイのわずかな仕草ひとつで僕はそう思った。おめでたいかも知れないけど、スカイハイは僕にそう思わせてくれるだけの不思議な力を持っている。
 何も言えないまま僕がいざ手をのばしてスカイハイと握手しようとした時、不意にスカイハイの手首から音がした。彼はPDAを身につけていたらしい。
『ボンジュール、ヒーロー!』
 女性が手短に事件発生とスカイハイの出動要請を告げる。頷いて通信を打ち切ったスカイハイは僕に向き直ると、「すまないが、わたしは行かなければならない」と一言言った。僕は感動のあまり言葉を失って唇を震わせた。本当は僕なんかそこらの一般市民だから、彼は僕になんの断りも必要ないんだ。だけどスカイハイはきちっと挨拶してくれた。ああ、だから僕はスカイハイが好きでたまらないんだ。スカイハイ、僕の、僕たちのヒーロー!
 僕は会釈と共に立ち去ろうとするスカイハイの背中に向かって、その日初めて口を開いた。
「……無事に帰ってくるのを待ってます!」
 イベントは打ち切りだろうに何を言ってるんだ。そんな思いが頭を掠めはしたけど、僕はとにかくスカイハイになにか僕の気持ちのようなものを渡したくて必死だった。スカイハイは僕を振り返ると、彼がいつもやる、あの敬礼みたいなポーズを見せてくれた。きっとあの仮面の下は満面の笑顔だった。
 ……結局イベントは打ち切りになったし、僕はスカイハイとは握手が出来なかったけど、彼は僕をちゃんと僕個人として見てくれた。あれが僕の最高の思い出だ。
 そうして僕は今でも、スカイハイがあの時一日車掌をしていたモノレールに通っている。当時は引きこもりがちだった普通の学生として。今は、ポセイドンラインの車掌として。


(08.09.11)


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